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縁に導かれて担当した“鉄腕アトムの声” 声優・清水マリさん |
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「鉄腕アトム」では今で言うクローン問題やロボット同士の戦争などがテーマとして取り上げられていた。それらの未来予想が実現しつつあるようで、清水さんは「今、手塚先生が生きておられたらどうおっしゃるでしょうか」と話す |
手塚治虫デビュー70周年でイベント開催
漫画の第一人者、手塚治虫氏がデビューして今年で70周年。氏の代表作「鉄腕アトム」のテレビ放送で“アトムの声”を担当していたのが声優の清水マリさん(80)だ。生まれも育ちも、そして現在も「浦和」に住み、“アトム引退”後もほかのアニメの声優や朗読の会などの表現活動を続けている。男女関係では昔から「縁は異なもの味なもの」といわれるが、清水さんの人生はアトムの声優になるための“縁”でつながっていたかのようだ。
清水さんの父は、黒澤明監督の「野良犬」など数多くの映画に出演していた名脇役の俳優・清水元さん。地元、浦和で劇団「表現座」を主宰していたが、ある時埼玉会館で「ピノキオ」を上演し、中学生の清水さんがピノキオを演じた。
この初舞台を機に、清水さんは、漠然と思っていた女優になる夢が現実のものとして感じられるようになった。進学した浦和西高の演劇部では演劇の世界にのめり込む。しかし、演劇の世界をよく知っている父は娘が女優になることに猛反対。清水さんはそれを押し切るようにして高校卒業後、難関を突破し、7期生として俳優座養成所に入る。
入所当初、「何でもできる」と自信満々の清水さんだったが、その“高い鼻”はすぐにへし折られた。発声練習や歩き方、稽古など役者になるための基礎練習を繰り返す毎日。またバレエや声楽、音楽や演劇の歴史などの勉強も加わった。それらを厳しくたたき込まれ、くじけそうになりながらも清水さんは3年間の養成期間を終了。そして、劇団「新人会」に入団する。
同劇団の座長は、かつて表現座に在籍していた早野寿郎さん。その縁から入団した清水さんはその後も、“人の縁”によってアトムの声優へと導かれていく。
「劇団新人会には当時渡辺美佐子、小沢昭一、佐藤慶ら後に有名になる俳優が多く在籍していました」と清水さん。研究生の清水さんは楽屋当番や衣裳整理、プロンプター係、大道具・小道具など何でもやらされたという。公演切符を売りさばく苦労も経験した。そんな裏方の仕事も清水さんは「喜々としてやっていました」と話す。
劇団新人会に入って4年が過ぎたころ、「鉄腕アトムがテレビアニメ化されるので、そのパイロット版に声を入れてくれないか」という依頼が所属事務所を通してきた。パイロット版とは、テレビ局に持っていくデモ作品のこと。清水さんは、外国映画吹き替えの仕事はやっていたけれど、「鉄腕アトム」を読んだことはなかった。「なぜ、私に…」と不思議に思いながらアニメ制作会社の虫プロダクションに出掛けて行くと、作者・手塚氏の隣に見覚えのある人が立っていた。大学生の時、表現座に在籍していた穴見薫さんだった。表現座の後、広告代理店で虫プロを担当していた穴見さんが、手塚氏に清水さんを推薦してくれたのだ。「手塚先生は、アトムの構想を練っている時に『ピノキオをロボットでやりたい』と言っておられたそうです。穴見さんは『子どものころにピノキオを演じた娘がいる』と手塚先生に話してくれたんじゃないでしょうか。それしか考えられません」と清水さん。
清水さんが吹き込んだのは、有名なアトム誕生のシーンだ。ベッドから起き上がって、生みの親の科学者、天馬博士に「お・と・う・さ・ん」と初めて声を出す。清水さんは事前に「小学5年生の男の子のつもりでやって」と手塚氏から言われていた。「うまく男の子になれるか」と迷いながらも声を吹き込むと、「手塚先生は『アトムに魂が入った』と大喜びしてくれ、私の手を力強く握ってくれました」という。
「これで自分がアトムの声を演じることになる」と思っていた清水さんだったが、虫プロからはその後何の連絡もない。そのうち、アトム役の声優オーディションが行われると知り、清水さんは「私はパイロット版だけだったんだ」とすっかり落胆してしまった。
ところがアトムのテレビ放送が1963年から、と決まり、清水さんがアトム役を担当するという知らせが事務所に届いた。その知らせを聞いた清水さんは「うれし涙が止まらなかった」と話す。それから清水さんはアトムのテレビ放送開始以来、終了するまで約4年に渡ってアトムの声を務めた。放送されたのは全193話。そのほとんどを清水さんが担当、出産前後の放送分だけほかの声優さんが代役で吹き込んだ。
かつて、アトムのテレビ放送を見てきたファンからは今も、「アトムというと清水さんの声が聞こえてくる」と言われるのが自慢だ。
アトムを“引退”
ところで、当時の収録方法は、オープンリールの録音機。収録テープを切ってつなげるとノイズが入るのでスタートからCMまでの12分間を一気に録音しなければならなかった。「間違えると一からとり直し。床や椅子の雑音が入ってとり直しということも多かったですね」と清水さん。放送時間1本30分の作品を制作するのに毎週約8時間かけて録音していたという。清水さんは、「アトムのせりふはお茶の水博士などよりも少なくて助かりました。その代わり、ロボットと戦う時のエイッ、ヤッといった掛け声は多かったですね」と振り返る。その後、新シリーズがカラー放送された時も引き続きアトムを担当した。
その清水さんもアトムを引退する日がやってきた。2003年から始まる第3シリーズから新たな声優さんがアトムを演じることになったのだ。この時、清水さんは「息子に嫁をとるような気持ちになりました」という。
アトムの声を引退してからの清水さんは昔話の語りなど、これまでとは一味違う世界を歩み始める。今では6つの朗読教室で指導・演出を担当し、多忙な日々を送っている。 |
4コマ漫画でデビューした手塚氏。一コマ漫画も多い「猫・写楽」1984年©手塚プロダクション |
手塚治虫デビュー70周年記念 漫画会館開館50周年記念
「手塚治虫とっておき漫画」
10日(土)〜11月13日(日)、さいたま市立漫画会館(東武アーバンパークライン大宮公園駅徒歩5分)で。
戦後のストーリー漫画の創始者・手塚治虫氏。同氏が描いた一コマ風刺漫画や絵本画などの知られざる作品を中心に展示する。入館料無料。また、関連イベントで10月23日(日)午後2時からトークショー「手塚治虫先生の思い出」を漫画会館2階で開催。手塚氏の長女・手塚るみ子と清水マリさんが手塚氏の思い出を語る。先着50人。応募は9月13日(火)午前9時から漫画会館 Tel.048・663・1541。 |
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