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選挙権が来年の参議院選挙から18歳以上に引き下げられることになった日本。「歴史認識の甘い若者が増える中、新たな議論を生むためにも今、近代史を扱った映画を作っておかなければ」と話す原田さん |
映画「日本のいちばん長い日」公開
1945年8月15日正午、昭和天皇の玉音放送がラジオから流れるまでの4カ月を描いた映画「日本のいちばん長い日」が8日から全国公開される。太平洋戦争末期、広島と長崎に原爆が落とされ絶望的な戦況となっていたにもかかわらず、かたくなに本土決戦を主張する軍部の若手将校たち。そうした動きに対し、天皇と鈴木貫太郎首相、阿南惟幾(あなみ・これちか)陸軍大臣は日本の復興を未来に託すために戦争を終わらせようとする—という内容の同映画。監督の原田眞人さん(65)は陸軍600万人の代表、阿南陸相を終戦に向け腐心する人物として描くなど、独自の解釈を展開している。
「昭和天皇と鈴木貫太郎首相、阿南陸相の3人がいなければ終戦の決断はできなかったと思います」と原田さん。これまで本土決戦を主張する軍人として見られることが多かった阿南陸相を天皇の聖断に従う人物として描いている。
「阿南さんは、智将でも政治的軍人でもないが、“徳将”といわれた人格者。家庭をすごく大切にしていた人です。次男が戦死したのに、自分は戦って死ねないと、心に大きな葛藤を抱えていました」と原田さん。
映画で阿南陸相を「戦争継続を主張する血気盛んな若手将校たちの情熱を背負いながら、かつて侍従武官を務めた天皇の身を案じて苦悩し、平和的解決を成し遂げようと努力する人」として描いた原田さん。そうした相反する感情を抱える阿南陸相に、非常な魅力を感じている様子だ。
その阿南陸相は8月15日未明に切腹する。「クーデターを推進する若手将校が阿南さんを祭り上げようとしているので自分がいなくなるしかなかった。同時に、終戦を実現させて陸軍をつぶした責任をとる意味もありました」と原田さんは見る。
終戦時の和平派と抗戦派の動きは非常に複雑で、いろんな証言や資料が錯綜(さくそう)している。特に阿南陸相については今も、終戦時の立場をめぐり、和平派か抗戦派か見方が分かれる。原田さんは、今回、半藤一利著「日本のいちばん長い日 決定版」(文春文庫)の映画化に伴い、世に出ている資料を参考にしながらも「最も自分が納得できる形で描いた」という。
もともと歴史好きな原田さん。「日本のいちばん長い日」を製作するきっかけは、06年公開の終戦前後数日間における昭和天皇の苦悩を描いたロシア・イタリアなどの合作映画「太陽」(監督:アレクサンドル・ソクーロフ、主演:イッセー尾形)を見たこと。このとき「これは昭和天皇の実像とは違う。これはもう自分が映画を作るしかないと思った」という。
「歴史を見つめ伝える」
「日本のいちばん長い日」はかつて岡本喜八監督によって映画化されているが、それを18歳の時に見た原田さんは、主人公らが軍人らしくない長めの髪にしていたのに違和感を覚え、がっかりしたという。それだけに今回の映画化では宮城(皇居)、首相官邸、陸軍省の建物、軍服や兵器の細部に至るまで再現にこだわった。また、原作に加えて「聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎」(半藤一利著、PHP文庫)や「一死、大罪を謝す 陸軍大臣阿南惟幾」(角田房子著、ちくま文庫)を参考に製作したという。
映画「日本のいちばん長い日」を「僕にとって初めての戦争映画」と位置付ける原田さん。これまで製作した映画は、「金融腐蝕列島〔呪縛〕」や「突入せよ!『あさま山荘』事件」、「クライマーズ・ハイ」などの社会派ドラマ、または文豪・井上靖の私小説をもとに家族の姿を描いた「わが母の記」などジャンルは多岐にわたる。
しかし、すべての原田監督作品に共通しているメッセージは「歴史を正しく学び、伝えよう」ということ。そのメッセージがストレートに表れているのが今回の作品だ。
戦後70年の節目を迎える今年、公開されることになった映画「日本のいちばん長い日」—。「戦争体験を語る人たちが亡くなっていく中で、戦争の歴史をねじ曲げて解釈する人が増えてきました」と原田さん。「だからこそ、日本が70年前の8月に『軍を無くして国を残す』という決断をしたことを声高に言っておかないといけない」と語気を強める。 |
©「日本のいちばん長い日」製作委員会 |
「日本のいちばん長い日」
監督・脚本:原田眞人、出演:役所広司、本木雅弘、松坂桃李、堤真一、山﨑努ほか、原作:半藤一利「日本のいちばん長い日 決定版」(文春文庫)。136分。日本映画。
8日(土)からMOVIXさいたま(Tel.048・600・6300)ほかで全国公開。 |
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