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デビューから31年目に入った稲垣さん。「手紙やメール、ツイッターで皆さんのメッセージを読むとき、歌手をやっていてよかったと思う」と話す |
5月に草加市でコンサート
今年1月21日にレコードデビュー30周年を迎えた稲垣潤一さん(58)。これまで「クリスマスキャロルの頃には」「ドラマチック・レイン」など数々のヒット曲を放ち、日本を代表するAOR(大人向けのロック)シンガーとして多くのファンを持つ。近く、欧米のスタンダードナンバーを日本語で歌った新譜が発売されるほかライブ活動も精力的に行っており、5月13日(日)には草加市文化会館ホールでの公演が予定されている。「元気をもらいたい、という人たちに僕の曲を届けられれば」と、稲垣さんは意欲を見せる。
雨にちなんだヒット曲で「レイニーボイス」と称される稲垣さんの声。伸びがあって、ノリのよいグルーブ感が心地いい。その透明感のある声は今も健在だ。
約1年前から続けてきたデビュー30周年の記念コンサートが、今年も埼玉や東京など多くの都市で行われる。「(30周年といっても)あまり実感はない。でも、リスナーにはデビュー以来ずっと聞き続けているという人も多い」と話す。
稲垣さんが最近、コンサート会場の客席を見て気付くのは、昔からのファンの姿。恋人同士のときコンサートに来ていたカップルがその後結婚し、今は子どもと一緒に聴きに来ている。
自分のルーツを探って
以前からのファンも含めリスナーを満足させたい、という気持ちはますます強くなっていると稲垣さん。「僕の歌で元気をもらいたいとか背中を押してほしい、癒やされたいという人たちに届けられれば、という思いでこれまでアルバムの制作やライブをやってきた。その気持ちは今も変わらない」と話す。
そんな稲垣さんが6月初旬に発売を予定している新譜は、アメリカやヨーロッパのスタンダードナンバーを日本語でポップ、AOR的にカバーしたもの。なぜ今、スタンダードに取り組もうという気持ちになったのか。
1953年に宮城県仙台市で生まれた稲垣さん。両親は仙台市内で小さな洋品店を営んでいたが、ラジオでよく洋楽を流し、夫婦で社交ダンスを踊っていたという。そんな家庭に育った稲垣さんは、子どものころ父から大きな影響を受けている。今度の新譜は、そうした環境で育った稲垣さんが自分の音楽的なルーツを探りたい、という発想から企画されたという。
中学3年生でバンドを結成し、ドラムを叩きながら歌っていた。高校を卒業してからは仙台市内のいろんな店に出演。一時は東京に出て米軍キャンプなどを回ったりもしていたという。しかし、なかなかプロデビューのきっかけがつかめず、こうしたセミプロ生活が延々と続いたある日、稲垣さんの評判を聞きつけた音楽関係者から仙台のレストランバーでスカウトされ、ソロシンガーとしてデビューすることに。高校卒業から約10年がたち、28歳になっていた。
デビュー曲は「雨のリグレット」(82年)、その後「ドラマティック・レイン」(82年)や「夏のクラクション」(83年)、「クリスマスキャロルの頃には」(92年)など相次いでヒットを飛ばし、日本を代表するAORシンガーとしての地位を確立した。
デビュー以来、順風満帆のように見える稲垣さんだが、苦しい時期もあったという。一番つらかったのが先の「クリスマスキャロル…」でブレークしていたころ。ライブをやっていて楽しいと感じなくなって、悩んだ。「自分が音楽を楽しめないのは(歌手として)一番まずい」と思い、音楽を楽しむためにはどうしたらいいかと自問。そして得た結論が、「自分が楽しむ」ことを基本にライブを行うことだった。「それまでは観客を楽しませるにはどうしたらいいかと突き詰めて考えていた。しかし、自分もステージを楽しまないと観客に届けられる歌を歌えないと気付いた」と話す。
昨年は、自分の音楽性を育ててくれた仙台が東日本大震災で大きな被害を受けた。「生まれ育った町が被災し、その映像をテレビで見るたびに胸が締め付けられるようだった」と振り返る稲垣さん。地元を支援するため「稲垣潤一東北サポート基金」を立ち上げると共に、チャリティーコンサートで被災者を励ましてきた。
「いつも新鮮な気持ちでステージに上がれるように」とライブの前には自分をリフレッシュさせる、という稲垣さん。30年間で出したアルバムは今度の新譜で50枚目となる。また、コンサートは2000回以上を数える。「これだけやっていると慣れが怖い」と気持ちを引き締めることを怠らない。 |
稲垣潤一 アコースティックライブ 2012
5月13日(日)午後4時半開演、草加市文化会館ホール(東武伊勢崎線松原団地駅徒歩5分)で。開場は開演の30分前。全席指定5000円
申し込みは草加市文化協会 TEL.048・931・9977
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