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「気象予報士は体力が基本」と平井さん。毎夜、バッグの中にウエアを入れ越谷〜春日部間の約10キロを走っている。そうやって鍛えた体力で毎年富士登山競争に出場。富士吉田市から山頂まで約21キロ、標高差約3000メートルを駆け上がる |
2007年8月16日、熊谷市の気温は40.9度となり国内最高を記録した。熊谷だけでなく埼玉県の夏は暑い。節電もあって熱中症が懸念された今年、気象予報士が伝える気象情報に例年以上に関心が高まった。いろんなキャスターがいる中で、「平易な語り口で信頼できる」と評判なのがNHKで長年気象情報を伝える気象キャスターの平井信行さん(44)。熊本・八代市出身で、現在は両親と自分の家族の2世帯が一緒に春日部市に住んでいる。今では「春日部は第2の故郷」と地元でのボランティア活動にも精を出す。
予報、分かるよう心掛け
まず、埼玉の夏はなぜこんなに暑いのかと、平井さんに聞いてみた。「1つは湿気。北と西に山があって、風が山を越えて吹き下ろすフェーン現象が起こる。もう1つは東京湾岸の都市圏の熱。ヒートアイランド現象による人工熱が埼玉県に流れ込んでいるからです」とテレビでおなじみの口調で歯切れがいい。96年から務め始めたNHKテレビの気象キャスターも今年で15年。キャスターとして一番脂がのっている時期だ。
そんな平井さんが、毎日の気象予報で心掛けていることとは何か。「誰が聞いても分かるように伝えることです。天気予報には専門用語がたくさんあるので、子どもが聞いても理解できるようにしたい」と平井さん。そのために絵や文字を使い、目で見て分かるように工夫している。
平井さんの1日はほとんどが東京・渋谷にあるNHK放送センターのビル内。出勤後、昼前にスタッフと打ち合わせた後、50枚以上もの天気図を見たりしながら今日伝えることを1つに絞り込むという作業に入る。「電車の中から見た町の様子を頭に入れながら、今日はこんな天気だから天気図はこういうふうになっていて、明日はこんな天気図になるだろうな、と予想しています」。放送で使用する絵や文字を考えるのも平井さんの仕事だ。こうした作業が放送直前まで続く。出演は月〜金の午後5時54分(ゆうどきネットワーク)と6時52分(首都圏ネットワーク)の2回だ。
平井さんは体験教室で月1回天気について教えている |
週末は地元で体験教室
「自分の放送時間は1回5分前後。毎日その放送時間枠は空白で埋まっていない。そこに自分なりのやり方でどう注ぎ込んでいくか、が楽しみです」とさわやかに話す。
子どものころから「NHKの気象キャスターになりたい」と思っていた平井さん。熊本・八代市では、幼いころ海や山、川でよく遊んだ。父に連れられて登った長崎・雲仙岳から熊本・阿蘇山を見て以来、気象状況に強い関心を持つようになった。「テレビの天気予報をよく見ていました。雲を見ながら天気を予想して遊んでいましたね」と平井さん。
東京学芸大学で地理・気候学を学んだ平井さんは、恩師の勧めもあって日本気象協会に就職、気象キャスターの仕事を始める。06年にはNHKを中心に活躍する気象キャスターを多く抱えるá潟Eィングに移り、取締役気象情報部長として若手の育成にも気を配る。
実は、平井さんには気象予報士の他に「学校の先生になりたい」という気持ちもあった。そして、地元・春日部で今年4月から始めたのが「春日部フェルマータ(FM)クラブ」。
週末に開く体験教室で、体育指導員や元アメフト選手、道徳教師、プロの音楽家などを春日部に招いて子どもを中心に教えてもらっている。もちろん平井さんも月1回レギュラー講師として気象について話す。「世代を超えた人々が一体となって学ぶことで心技体3つの可能性を伸ばせれば」。フェルマータは演奏記号で「伸ばす」という意味。「今はまいた種がようやく芽を出し始めたところ。これを大きく咲かせたい」と目を輝かせる。会員募集中だ。
平井さんが春日部に居を構えることになったのは、通勤圏でありながら自然が豊富なところが気にいったため。93年に結婚し、96年から春日部に2世帯住宅を建て両親と一緒に住む。2人の子どもも埼玉生まれ。今は、「春日部が第2の故郷」になった。
▼春日部フェルマータクラブ TEL.048・752・6899 |
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