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「『あそこに着ていこう』と具体的なイメージがわくのが良い着物です」と柳澤さん。2006年知事賞に輝いた作品を広げて |
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埼玉県の伝統工芸 熊谷染を伝える
熊谷染を知っているだろうか?
江戸時代から熊谷に伝わり、手描き友禅と小紋、両方の技法を受け継いでいるのが特徴だ。ことし6月、熊谷捺染(なっせん)作品協議会で埼玉県知事賞に、深谷市在住の柳澤正巳さん (54) の作品が選ばれた。3度目の受賞となる柳澤さんは、8人いる熊谷染の埼玉県伝統工芸士のうちただ一人の女性。子育て、介護をしながら修業した。
次世代に熊谷染を伝える責任を感じている柳澤さんは、「自分の作った着物が、母娘の物語をつなぐ一端になれば」と語る。
子どものころから絵を描くことが好きだった柳澤さん。「手に職をつけて、女一人でも食べていけるように」と高校卒業後、京都で友禅染の仕事に就く。「当時は団塊世代が結婚するころで、着物はよく売れ、職人が足りないくらいでした」
柳澤さんはそこに8年間勤め、結婚して埼玉に移る。その後も仕事は京都から送ってもらい、続けていた。「当時住んでいたアパートは2部屋しかなく、仕事が来ると1部屋を片付け、夜なべでした」
1992年、県の技術継承者育成講座で熊谷染の技術を習得できることを夫が新聞で見付け、勧めてくれた。
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淡い色彩の友禅と、どこかモダンな小紋の帯 |
「わたしだけの着物」の感動
娘と息子も小学生になり、“自分の時間”ができたころだった。
講座で5年、熊谷染の職人から技術を学び、その後も自主的に勉強した。家庭との両立は大変ではなかったと言う。「友禅の仕事を続けていましたから、家族も理解していましたし、主人も応援してくれました」。夫の両親の介護も重なったが、制度に助けられた。
努力は実を結び、04年、06年、ことしと知事賞を受賞。05年には伝統工芸士に認定された。「うれしかったけれど、責任も感じました」。「熊谷染の名を消さないように、後輩に技術を教えないと」というプレッシャーがある。「地元でもまだ知名度が低いので、まず認識してもらいたいです」。商品開発、体験教室…と「これからの熊谷染」についてあれこれ考えをめぐらす。「でも着物文化としての“染め”を柱にしていきます」
「ここまで続けられたのは好きだから」。友禅染の経験を生かし、発展させることができたうえに小紋、更紗の技術も習得。また分業制の京友禅と違って、全工程に携わることができるのも熊谷染の魅力だという。
製作で難しいのはデザイン。「職人にとって、お客さまの頭の中にあるイメージをどう表現するのかが難しい」。イメージにプラスアルファがあると、依頼した人に感動してもらえる。「『わたしだけの1枚だ』と感動してくださることが、やりがいにつながります」。そのためには数をこなし、デザインを研究し、時代感覚も知らないといけない。一生修業なのだ。
「わたしだけの」着物を着た時の特別の思い出は、その着物に“封印”される。それを娘や孫たちが、自分なりのセンスを取り入れて袖を通して行くことで、代々の思い出、物語が着物でつながっていく。「うちはまだですけれど」と笑いながらも、その魅力を柳澤さんは目を輝かして話す。
「母娘のつながり、その家の物語を伝えていく一端に、自分の作った着物が入ればうれしいです」 |
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