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「キューポラのある風景 後世に伝えたい」 川口市/寺島萬里子さん |
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「年をとって何か始めるなら趣味や暇つぶしではなく、本気でする事が大切」と寺島さん |
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元医師の80歳現役カメラマン
川口の鋳物の灯を消してはならない—。川口市西川口の元医師・寺島萬里子さん(80)は60歳で医師を定年後、カメラマンに転身し、川口の鋳物をテーマにした写真を撮り続けている。寺島さんの活動の原点は「キューポラのある風景を次世代に残す」こと。80歳を迎えた今も精力的に写真を撮り続ける。
写真で残す、川口の鋳物
1926 (昭和元) 年、三重県生まれ。54年、埼玉民医連川口診療所に医師として赴任した寺島さんは当時の様子をこう語る。「診療所のあった仲町には至る所に鋳物工場があって、夜になるとあちこちで炎が上がっていたの。ばい煙が降ってくるから洗濯物も干せなくて」。近隣住民の多くが鋳物業で生計を立てていた時代。「バラックのような診療所は地域住民の交流の場。中には酔っぱらって世間話に訪れる職人さんも居たり(笑)。気が荒そうな職人さんも、実は人情味あふれる人ばかりで、そんな人との触れ合いが楽しかった」と振り返る。
連日、「脳卒中」「心臓病」「高血圧」などの病気を抱えた鋳物職人が寺島さんの元に駆け込んだ。それもそのはず、鋳物の作業現場は過酷極まりないもの。 1500度の高温に溶けた鉄の湯30キロをひしゃくで運ぶので、腰痛ややけどは当たり前。工場内に冷暖房はなく、夏場になると熱中症で倒れる人も後を絶たない。特に職人を悩ませたのが、粉じんが肺に付着して呼吸不全を起こしながら死に至る「塵肺」と呼ばれる病気。「鋳物職人の職業病」と呼ばれ、治療方法もない。職場を離れても進行し、寺島さんも数多くの患者の最期をみとってきた。「病気への対策もきちんと指導しなくては」と療養指導講座を頻繁に行うなど、親身になって鋳物職人と接してきた。
60歳で定年後は嘱託職員として週4回勤務。その時、寺島さんの頭に浮かんだのが鋳物の事だという。「市内あちこちに高層マンションが建ち並び、鋳物工場は次々に閉鎖。それに職人も高齢化し、跡継ぎが居ない状態。川口の発展を長年支えてきたのは鋳物。この事実を何か記録として残さなければ」
そんな使命感に駆られた寺島さんは63歳の時、写真の専門学校に入学する。「ただシャッターを押すだけ」と思っていたカメラだが、「いざ勉強してみると面白く、毎回新たな発見ばかり。まさに "63歳の1年生" だった」と言う。
寺島さんが撮りたかったのは「現在の鋳物のありのままの姿」。作業現場の様子、職人の素顔など、足繁く鋳物工場に通いながら写真を撮り集め、97年3月に処女作となる写真集「キューポラの火は消えず 鋳物の町・川口」を出版。04年8月には川口の鋳物職人・鈴木文吾氏を撮り続けた写真集も出版した。
70歳で診療所を退職後はハンセン病問題にも強い関心を持ち、群馬県のハンセン病国立療養所へ4年間通いながら、入園者との交流も写真に撮り続けた。
医者として働き続けた47年間と、63歳から始めたカメラマンとしての17年間は「どちらもかけがえのない貴重な時間」と寺島さん。よわい80歳。重い撮影機材を抱えながら写真を撮り続けるのは「体に負担が大きく、そろそろ第一線から退こうかな」と苦笑するが、「何だかんだ言っても写真が好き。これからも撮り続けたい」。
「今は人生90年の時代。60歳なんてまだ若い。ゆっくりするのは80歳を過ぎてからでいいんじゃないかな」。そう話す寺島さんのバイタリティーはまだまだ衰えそうにない。 |
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