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エベレスト登頂を果たした時の小川さん |
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定年退職後に30年来の夢実現
最近中高年にブームの山登り。暖かい日が増え、本格的に始めてみようという人も多いのでは。越谷市東越谷の元東京都職員・小川誠さん(67)は2006 (平成18)年5月、標高8848メートルを誇る世界最高峰のエベレスト(チョモランマ)に見事登頂した。学生時代から国内外の山を登り始め、定年後、 66歳で夢を実現させた小川さんは「年を取ったからといってあきらめては駄目。何事も挑戦することが大切」と力説。現在は山岳写真家としての顔も持ち"生涯現役"で登山を楽しんでいる。
小川さんが登山に興味を持ったのは18歳の時。山梨県の大菩薩峠に登り、山頂から見える絶景に感動した。東京都に就職してからも仲間とともに登山を楽しみ、東京電機大学2部に入学後は北アルプスや南アルプスなど全国各地の山に挑戦した。
国内外の山々を登り続けていると"世界一の山・エベレスト"を自然と意識するようになる。「いつか登ってみたい」。30代から漠然と思いを寄せていたが、「実際に登るとなると2〜3カ月の時間が必要。仕事をしている時は時間が取れずどうしても無理。永遠の夢でした」。
60歳で定年後、5年間嘱託で勤務。そして65歳の時にエベレスト登頂を決意する。
「エベレスト登頂にはまず8000メートル級の山に登ってノウハウを学ぶことが必要」と世界で6番目に高いチョ・オユー(標高8201メートル)に登頂。「このチョ・オユーを登りきったことが自信になり、エベレストへの挑戦が夢から現実になりました」
山岳ガイド社のエベレスト登頂企画に申し込み、5人の登山隊を結成。旅費や食料費、山岳保険など登山費用約600万円は退職金から充て、06年4月15日に日本を出発した。
8000メートル級の登山は想像を絶する過酷なもの。気温はマイナス30度、酸素は地上の3分の1。酸素ボンベを3回吸ったらゆっくり1歩踏み出す。登山途中には疲労で力尽きた登山者の遺体も雪の中に数多く埋もれていた。「酸素マスクをはずすと生死にかかわる。酸欠で気が遠くなり、今までに味わったことのない苦しみだった」
1カ月かけて高度順応を行い、5月17日に見事頂上に到達した。
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「これからは山岳写真を撮り続けたい」と小川さん |
「絶対に登るんだ」という気持ち
「極限の状態で一番大切なのはここですよ」。小川さんはそう話し、左胸に手を当てる。「『登れるだろう』じゃなく『絶対に登るんだ』という強い気持ち。この気持ちを持っていれば必ず登れる」
都庁勤務時代は23階の職場まで階段で移動していたという小川さん。普段の健康管理にも人一倍気を遣う。今も駅ではエスカレーターやエレベーターを極力使わず、階段を使用。毎日自宅近くの元荒川の土手を約1時間かけてウオーキングする。
小川さんのもう一つの趣味が写真。40歳過ぎからカメラを持って山へ出掛け、四季折々のさまざまな山の表情を撮影し、アマチュアカメラマンとして今までに写真集を4冊出版。展覧会も数多く開催している。「今では写真を撮ることが目的で山に登るようなものなんです」と笑顔の小川さん。
66歳でのエベレスト登頂は国内では3番目、埼玉県内では最高齢の記録になる。現在の「70歳7カ月」というエベレスト登頂の世界記録更新にも期待が掛かるが、「もう年が年だし8000メートル級の山は無理」と苦笑い。「とりあえず自分の夢に一区切りついたので、これからは山の写真を撮っていきたい。いつまでも健康で楽しみながら登山を続けられればいいですね」。そう話すと小川さんは雪焼けした顔をにっこりほころばせた。
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