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歴史に埋もれた“誇り”照らす 歴史小説家・植松三十里さん |
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「歴史上の悪役、憎まれ役も、政治上の敗者が負わされているだけかも」と常に通史を疑う植松さんだが、小説を書く上でこだわっているのは、「史実を曲げない」こと。今回の新刊の内容の核心にある、薩摩藩の密貿易に富山の薬売りが協力していたのはれっきとした史実だ。「編集者から次作のアイデアとして提示されるまで、私も知りませんでした」。そして、こう続ける。「十分に理解されていませんが、小説家と編集者は投手と捕手の関係。彼らが書き手の情熱を受け止め、ときにはリードしてくれるからこそ、小説家は成り立つと思っています」(自宅書斎にて撮影) |
新著は「富山の薬売り」に焦点
矢田堀鴻、貞明皇后、油屋熊八…。歴史小説家・植松三十里(みどり)さん(69)が自身の作品の主役に据えるのは、一般に知名度の低い偉人が多い。“負け組”に属したため偉大な業績が顧みられず名声を奪われた人、今も地方の人々の生活を支える基盤を築きながらも中央の正史にはさっぱり記されない人など…。「誇りを胸に抱きながらも歴史に埋もれ静かに眠っている人たちを少しでも世に知らしめたい。そうした思いで筆を執っています」。そんな植松さんの新刊が昨年11月に出版されている。「富山の薬売り」たちに光を当てた「富山売薬薩摩組」だ。「江戸時代、都市部以外で医者がいない当時、多くの命を救っていたのが『富山の置き薬』です。彼らの功績と、意外なつながりを秘めた史実から、歴史の面白さを感じてほしいですね」
薬箱を各家庭に置いておき、使った分だけ代金を請求する「富山の置き薬」。そんな現代にも通じる先進的なビジネスモデルを作り上げたのが、「富山の薬売り」として知られる人々だ。彼らは富山を拠点に全国津々浦々に足を運び、貧しい人々でも健康を守れる全国的なセーフティーネットを築き上げた。それは、現代の北朝鮮のごとく国情が漏れるのを恐れ他国の者の出入国を厳しく管理していた薩摩藩(現在の鹿児島県)も例外ではない。
薩摩藩は鎖国の世である江戸時代、琉球王国(現在の沖縄県)を通じ中国大陸と密貿易を重ねていたのだが、一時期、富山の薬売りも一枚かんでいたことは案外知られていない。「世の中の役に立つ」ことを矜恃(きょうじ)としていた富山の薬売りたちの中にあって、本書の主人公、越中富山の老舗薬商、能登屋の密田喜兵衛はなぜ密貿易に加担したのか—。
「富山売薬薩摩組」
(1980円・エイチアンドアイ) |
植松さんは年に3〜4冊出版する多作の作家だが、同書は構想から5年、富山や鹿児島などに取材旅行を重ね書き上げた。「今回は労作です。ただし、取材をしても大半の情報は捨てています。作家の先輩いわく、『捨てるものが圧倒的に多いくらいでないと傑作は書けない』そうですよ(笑)」
植松さんは1954年に埼玉県川口市に誕生。小学校3年のときに父の仕事の都合で静岡県清水市(現・静岡市)に転居し、同地で青春を過ごした。「運動音痴でしたので小さいときから読書ざんまい。小説家を夢見たのもそのころからです」
歴史好きが高じて大学は史学科を選ぶ。就職は、“物書き”への憧れがやまず、雑誌社に。「配属されたのはファッション誌。思っていた仕事とは全く違うものでした(笑)」
生活のため小説家に
その後、夫の仕事の関係で米国に移住、2人の娘を育て上げた。7年後に帰国し札幌市へ。同地では建築事務所に勤めたが、夫の転勤を機に42歳で上京する。「東京で就職しようにも全て年齢で足切りされました。米国在住時や北海道時代もこつこつとさまざまなジャンルの小説を投稿してきましたが、プロの“物書き”となる必要に迫られました」
まず、カルチャースクールの門をたたき、講師だった小説家・早乙女貢、文芸評論家・清原康正にそれぞれ師事。6年間の文章修業を経て2003年、「桑港(サンフランシスコ)にて」(新人物往来社)で歴史文学賞を受賞し作家デビュー。咸臨丸の太平洋横断の偉業の陰で、米国に取り残された水夫たちの絆を描いた。「歴史小説を選んだのは、歴史上の人物たちの人生を描くので、若くなくとも、経験豊富な年齢でもデビューできると聞いていたからです」
20年で約70冊出版
しかし、デビューしてから生き残れるのは20人に1人といわれる業界。植松さんは大手出版社からフリーの編集者まで、自分の著作の持ち込みを続け粘り強く営業。著作業が軌道に乗り始めた09年、生真面目さが災いして通史から存在を消された幕府海軍総裁・矢田堀鴻(1829〜87)を発掘した「群青 日本海軍の礎を築いた男」(文藝春秋)で新田次郎文学賞を受賞する。以後も、大正天皇を妻として支えた貞明皇后(1884〜1951)の評伝「大正の后」(14年、PHP研究所)や、大分県別府市でしかほぼ知られていない郷土史中の偉人、油屋熊八(1863〜1935)を描いた「万事オーライ 別府温泉を日本一にした男」(21年、同)などを出版。デビュー以来約20年で、文庫本化も含め約70冊を世に出している。
その主題の多くに、「船」「海」「外交」「地方」が関わっているという。「私の生家は造船会社に歯車を卸していましたし、夫は海の水の研究職。7年間の在米体験では日本を外から見る視点を得ました。それに、札幌の建築事務所勤務時はもっぱら『まちづくり』の業務に携わっており、地方の偉人の業績に目が向くようになりました。さまざまな人物を書き上げてきましたが、著作は全て自分の人生の映し鏡ですね」
「正史」を疑う
植松さんはもうすぐ70歳の大台に乗るが、創作意欲は衰えない。「小説を書くときは取材に行って資料を読んで、それからとても細かい年表を書くのです。すると、まったく関係がないはずの出来事に接点が…。教科書にはない歴史の流れが見えてくるのです」と植松さん。歴史は決まりきった古い話をなぞるものではないという。「今残されているのは“勝者の歴史”。そのほころびから新しい事実を“発見”する楽しさを皆さんと分かち合っていきたいですね」 |
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