定年時代はアクティブなシニア世代の情報紙
ASA(朝日新聞販売所)
からお届けしています
会社概要
媒体資料
送稿マニュアル
広告のお申し込み
イベント
お問い合わせ
個人情報保護方針
サイトマップ
HP更新日 →
新聞発行日の翌々日(水曜日)
新聞発行日 →
第1月曜日:東京/埼玉/千葉/横浜・川崎/茨城
第3月曜日:東京
旅行
|
おすすめ特選ツアー
|
趣味
|
相談
|
食
|
仕事
|
学ぶ
|
これは便利これは楽々
|
リンク
|
インフォメーション
千葉版 平成23年12月号
夭折の画家・青木繁―“波乱の人生”を描く
南房総市/かわな静さん
小説「青木繁とその情熱」を手にかわな静さん
没後100年、本を出版
夭折の画家・青木繁(1882—1911)。代表作の「海の幸」(重要文化財)が1904(明治37)年に房州の布良で描かれた。南房総市富浦のかわな静(本名・川名静子)さん(74)は青木繁が、約1カ月半逗留(とうりゅう)した小谷家を見学した際に「強い感動を覚えまして、青木繁の生涯を書きたい衝動にかられました」と小説執筆の動機を語る。
青木繁は1882年に現在の福岡県久留米市に下級武士の系譜をひく青木廉吾の長男として生まれた。1900年に東京美術学校(のちに東京芸術大学)に入学、04年に卒業間もないころ写生旅行に館山の布良を選んだ。同郷の友人で後年画壇の巨匠といわれた洋画家・坂本繁二郎、森田恒友、それに恋人の福田たねの4人で小谷家に逗留した。繁22歳、たね19歳の夏だった。
「繁は布良の海岸の美しさを人づてに聞いていたようで、来てからもたいそう海岸を気に入ったそうです。布良の海岸は荒々しさ、人間を寄せ付けない厳しさがありますが、その反面、心を癒やしてくれる魅力があります。そこに繁は魅入ったのでしょう」とかわなさんは分析する。
かわなさんは房州での繁ほか3人の足跡を中心に調べ、資料集めや参考文献の調査など1年の歳月を費やした。「中島美千代著の『青木繁と画の中の女』は何度も読み直して参考にさせていただきました」とその過程で明らかになったことも何点かあるという。かわなさんの生家の前を通る木の根街道を繁が歩いた形跡があり、歩いている姿を思い浮かべ創作意欲をより駆り立てたという。
こうして書き上げた「青木繁とその情熱」(てらいんく刊、1260円)は「古事記の神話をモチーフに海の幸が布良で描かれたことに加えて繁の志に向かって努力する純粋さをテーマにしました」と生い立ちから28歳で没するまでの波乱の人生を表した。
「本当を言えば繁の気持ちを尊重するならば観光というだけで布良を俗化させたくはありません。『海の幸』を理解して、味わってもらうために布良に来てもらいたい気持ちはあります」
「繁は自分の才能を信じて疑いませんでした。その生きざまは素晴らしい自己表現だと思います」
布良後の繁はたねとの間に幸彦(1905—76、のちの尺八奏者・福田蘭堂)を産む。繁は福岡で結核のために28歳で死去。ハナ肇とクレイジーキャッツの元メンバー・石橋エータローは蘭堂の息子、つまり繁の孫にあたる。
「ことしは繁没後100年に当たります。これを意識して書いたわけではありませんが、偶然にも没100年に刊行できたことはうれしいことです」と若くして世を去った天才画家の生きざまを多くの人に読んでもらいたいという。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
小谷家は現在、見ることはできるが一般公開はしていない。近くに阿由戸浜を望む高台に繁没50年を記念して建立された碑がある。
ページの先頭へ
最新号
令和6年過去の記事一覧
令和5年過去の記事一覧
令和4年過去の記事一覧
令和3年過去の記事一覧
令和2年過去の記事一覧
令和元年過去の記事一覧
平成31年過去の記事一覧
平成30年過去の記事一覧
平成29年過去の記事一覧
平成28年過去の記事一覧
平成27年過去の記事一覧
平成26年過去の記事一覧
平成25年過去の記事一覧
平成24年過去の記事一覧
平成23年過去の記事一覧
平成22年過去の記事一覧
平成21年過去の記事一覧
平成20年過去の記事一覧
平成19年過去の記事一覧
トップ
|
会社概要
|
媒体資料
|
送稿マニュアル
|
広告のお申し込み
|
イベント
|
お問い合わせ
|
個人情報保護方針
|
サイトマップ
当ホームページに掲載されている全ての文章、写真、イラスト等の無断複製・転載を禁じます。
Copyright Shimbun Hensyu Center Company. ALLrights reserved.