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お見せします! 55年間の話芸を 日本浪曲協会会長/澤 孝子さん |
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春日局を演じる澤孝子さん |
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「昔の話を三味線との調和を図り、リアルに表現することを常に心掛けています」と言うのは野田市山崎の浪曲師・澤孝子さん(69)。ことし1月に日本浪曲協会の17代目会長に就任して1年。その就任記念として23日に野田市で「浪曲まつり」が開催される。澤さんは「55年間にわたって浪曲を演じてきました。その話芸の集大成のステージをお見せします」と抱負を語った。
23日 野田で浪曲まつり
「銚子で漁業組合長をしていた父が浪曲好きでよく聴きに連れて行ってくれました。1954(昭和29)年に14歳で二代目・広澤菊春に入門しました」。その年の6月、広澤菊奴と名乗り初舞台を踏む。以来55年間、精進を重ね浪曲を演じてきた。この間61年に澤孝子と改名して一座を結成した。73年にはNHK第1回浪曲新仁コンクールで最優秀賞、芸術祭参加優秀賞など数々の受賞歴がある。
浪曲は三味線の音に合わせて物語の状況や登場人物の心情を語る「節(ふし)」と登場人物を演じる「台詞(せりふ)」で組み立てる。
「同じ演目でも浪曲師の節が一人一人違うので、一つとして同じものはありません。わたし本人でも毎日ベストを尽くしますが、声の調子などで同じに演じることはできません。三味線との間の取り方でも違ってきますから。でも基礎はできていますから大きなバラツキはありません」
澤さんの演目数は100席を超える。師匠譲りのものから澤さんオリジナルの演目まで数多く演じる。「オリジナルは大西信行先生(前脚本家連盟理事長)に書いてもらっています。23日に演じる春日局も大西先生に作ってもらったものです」と話す。
浪曲界の底上げに尽力
師匠の芸を受け継いでも自身で節を確立しなければならない。
笑いから涙もの、侠客ものなど一般的な喜怒哀楽を演じられる。女流浪曲師は侠客ものをあまりやらないといい、母もの、女性を題材にしたものが多いという。
女性の会長は歴代で2人目。「男性社会の浪曲でしたから」。2代続けての女性会長となる。会長として心掛けていることは「温故知新」。古い昔から語り継がれている浪曲がIT社会に取り残されないように、新しいよいものは積極的に取り入れて、21世紀の新鮮な話芸として成長していきたいという。若手の育成にも協会の大事なメンバーとして全体で取り組んでいきたいと話す。
また東京・品川にある浪曲中興の祖・桃中軒雲右衛門の墓所が品川区の文化財史跡に指定されたこともこれからの浪曲に大きな刺激になると澤さんは話す。
澤一門には4人の弟子がいる。澤順子、恵子、華丸、雪絵といずれも千葉県に居住している。「国本武春の人気などで観客に若い人が増えてきています。これからも浪曲界を大いに盛り上げていきます」と意欲を示す。
浪曲とは
明治時代初期から始まった芸能で三味線を伴奏に用いて物語を節(ふし)と台詞(せりふ)で演じる語り芸。正岡容(まさおかいるる)著の「日本浪曲史」の中で浪花節のルーツは説教節、デロレン祭文、阿呆蛇羅教などで、その先祖は宗教音楽時代の説教、祭文。大阪では浪花伊助、東京では浪花亭駒吉が関東節の開祖とされる。「浪花節」が「浪曲」と呼ばれるようになったのは1917(大正6)年12月20日付の「都新聞」紙上で紹介されてからである。
日本浪曲協会の歩み
1879(明治12)年
日本浪曲協会の前身である東京浪花節組合結成
初代頭取に春日井松之助が就任
1925(大正14)年
東京浪花節組合から東京浪花節協会に改称
1938(昭和13)年
東京浪花節協会から日本浪曲協会に改称
1940(昭和15)年
日本浪曲協会を設立
初代会長に木村友衛が就任 |
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