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夫婦で歩いて「日本縦断」 八千代市/串崎吉光さん・文子さん |
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出発地の宗谷岬で決意も新たに |
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2回に分けて
昨年、宗谷岬〜八千代市
北海道の宗谷岬から自宅の八千代市萱田まで78日1722キロを踏破した串崎吉光さん (57) 文子さん (52) 夫妻。「自然の美しさと人との出会いが最高でした」と吉光さん。夫妻は2004年に鹿児島まで踏破しており、これで「日本縦断夫婦歩き旅」となった。
「夫婦の会話、増えました」
吉光さんは繊維メーカーに勤務していたが、52歳の時、再度海外勤務の話が持ち上がり「それまでに9年間海外勤務を経験していましたが、再度単身赴任となれば看護師をしながら子どもを育ててきた家内に申し訳ないと思い第2の人生は家族のために早期退職を決意しました」とその後はパート勤務で時間を作り、そのころから文子さんとウオーキングを始めた。
縦断のきっかけは5年前に八千代市郷土博物館で昔、村上の人が四国まで歩いたという展示物を見て、自分たちにもできるのではと思ったのが始まりという。
そこで銀婚記念の04年に2人の故郷である鹿児島県内之浦まで1809キロを歩く決意をして実行した。100日間、実徒歩日数78日でたどり着いた。「途中でだめかなという時もありましたが、実家への思いが強くなんとか歩ききりました」と吉光さん。
それから2年余り。「トイレに日本地図が張ってあるのですが、せっかく西日本を歩いたのだから今度は東日本を踏破したい気持ちがトイレに入るたびに強くなりました」と実行を決意。昨年9月12日に宗谷岬を出発した。旭川、札幌、函館、青森、秋田、新潟、三国峠を越えて11月28日に自宅に着いた。
「非常食や水2000ミリリットルを入れた10キロのリュックを肩にかけて1日約25キロ歩きましたが、歩き始めは足のまめをつぶしては消毒しながらの歩行で足をかばったおかげでひざや腰が痛くなり大変でした」と吉光さん、文子さんは「群馬県の三国峠越えでは雪もうっすらと積もりなおかつ道路が狭く歩行道もないため、急な下り坂で足の先が痛くなりました」
2人ともパートの仕事をしながらまた夢に向かう |
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東日本 / 78日1722キロ
西日本 / 100日1809キロ
「でもそれ以上に人の温かさがそんなつらさを吹き飛ばしてくれましたね。道を尋ねた時、夫婦で歩くのは珍しいとあちこちで声をかけていただき、トウモロコシやトマト、リンゴをたくさんいただきました」ことが一番の思い出という。
「娘とは安全第一と2人が支え合って旅すること」と約束した。行程はもしもの時を考えて線路に近い道を選んだ。また宿泊は民宿やビジネスホテルなどをその日の午前中に観光協会や役所に電話を入れて予約した。
「大きなけんかはしませんでしたが、札幌では1度だけ昼食を別にとりました。わたしは札幌ならラーメンだろうと、女房はおなかがすき過ぎて手近な場所でということで意見が合いませんでした」とささいなことがいくつかあったという。
78日、実徒歩日数70日で8日間は休養日。旭川動物園や世界遺産・白神山地など観光にも行ったという。
「会社や家族の理解があってできることですが、同じお金を使うなら海外旅行にでも行けばという人もいますが、わたしは夢に投資をしたいですね。家内との会話も大いに増えましたしね」。今回の旅の費用は約110万円かかった。
これからの夢は「四国八十八カ所めぐりをしたいですね」と吉光さん、「わたしは行っていない県を7〜8日かけて歩きたいと思います」と文子さん、またどちらかに計画を合わせて旅をしたいと顔を見合わせていう。
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