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認知症の母との5年間 愛情あふれる誌で表現 柏市/池下和彦さん |
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「昼間はもくもくと母を見ていた父も3年前92歳で亡くなりました」と池下さん |
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日常の触れ合いを日記風に "母の詩集"発行
「母が亡くなって今年で10年、いろいろなご縁があって、昨年"母の詩集"を出版しました」と感謝の気持ちを表すのは、柏市根戸の池下和彦さん(59)。両親と同居していた5年間、認知症が1日1日と進む母・歌子さんとの日常の会話や出来事を日記風に詩に表した。「10年たつのにまた母とのつながりができて幸せです」と昔を振り返る。
「まだ両親が東京・赤羽に住んでいたころ、私の家に母が時折、掃除をしに来てくれたのです。そしてこんなことを言ったのです」
【いまにして思うと】
いまにして思うと あのときに始まっていたんだ 母さんが一人でうちに来たとき それでも声をひそめて 「父さんにはないしょで割算の仕方を教えて」 と言った 数十年続けていたあみものを いつのまにかしなくなったのも あのころからだ いまさら 追いつかないことなのだけれども 段ボール箱いっぱいの毛糸が たんすのうえに置かれてある
「1991(平成3)年、76歳の母はアルツハイマー型老年痴呆と診断されました。翌年の春、父と連れだって私と一緒に暮らすようになりました。医者の診たて通り症状は確実に進んでいき、徐々にではありますが子どもに返っていきました」
【満足】
食後 「おいしかった?」と聞くと 母さんは おなかをさすりながら 「いまもこのあたりがおいしいの」と答える 「母はいいなずけがいたにもかかわらず、父と恋愛に陥り駆け落ちまでして結婚しました。浮気騒動があったりして父に対しては愛憎の気持ち。私にはただかわいいと」 仮に 母さんは ほんとうにぼけているのかなあ 父がふと漏らすことがある このあいだも いざとなったら心中しようかと もちかけたところ そんな不心得なことは言うなと いさめられたというのだ
【仮に】
母さんがこの一年余り ぼけのふりをしていたら おどろきだね 返事の代わりに 私は父の話をまぜかえす おれは許さんと父は答える 父にはもちろん
仮にの余地はない
「今思えばもう少し仕事を与えればよかったとおもっています。どうしても時間がかかるので朝のごみ出ししかしてもらってなくて。ごみ出しが母の心を満たしていたので」
【居住まい】
母が自分のことを 「わたし」と言わなくなって久しい 母は自分のことを 「うたこ」と言う もはや 母は 母のものでも家族のものでもない そうなることで 母との距離はなくなる 「うたこさん」 居住まいをただして わたしは 母に呼び掛ける
「同居して8カ月くらいして徘徊(はいかい)が始まりました。母に対する考え方が父とわたしとは違っていて年中けんかしていました。父は母を外に出したくなく鍵を掛けることも。わたしはある程度自由にと。そしてだんだんと足腰が弱まり、少しずつ手を貸すようになりました」
【表情】
呼び掛けても変わらない 能面ともちがう顔が そこにある 妻という嫁という母というすべての役割を果たしおえ とりたてて表情のいらなくなった 母の顔が そこにある
「最後の1年は歩けなくなって朝晩の食事や入浴など朝はあわただしくなりましたが、荷が重いとかつらいとかといった気持ちはなかったです。自然体で暮らしていたので」
【いつ】
一人で トイレに行かれなくなったのはいつ 一人で歩けなくなったのはいつ 一人で食べられなくなったのはいつ 一人で風呂に入れなくなったのはいつ どれもいつからと答えられない 看病でも介護でもなく いっしょにくらしているだけだったから
「97年2月26日、母は自宅で息を引き取りました。96年の夏に腎臓がんと診断されましたが、手術しても高齢なのでといわれ、それだったら自宅で暮らそうと。消えるように亡くなりました。でも不思議なことにぽっかり気持ちに穴が開いたということはありませんでした」
【ひたい】
火葬のまえに 母さんの死に顔をみると 二月十一日 風呂場であやまってつけたひたいのきずのあとが まだ ぽちんとのこっている きずあとがきえるまえに 死なせてしまったんだね ごめん
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「母の詩集」は池下さんが日記を書くように暮らしのありさまを1編1編ワープロに打ち込んだという。歌子さんの百カ日に際し、供養の気持ちで190編の私家版を発行した。今回は時系列に並べた130編の詩を編集、発行した。
『童話屋』 1260円
問い合わせ (TEL) 03・5376・6150 |
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