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  坂のある街 平成23年4月号  
永田町の“よろず屋”  山王坂/千代田区

山王坂。衆議院の新議員会館2棟は坂上の国会議事堂側から見ると、共に地上12階建てで高さ約60m。周辺の整備工事が続く坂を上ると、途中から国会議事堂が見えてくる

山王坂の坂上付近から坂下方面を望む
 国会議事堂の裏手から真っすぐ下る山王坂(さんのうざか)。真新しい衆議院の新議員会館2棟が、坂の両脇に広い面積を占める。辺りは首相官邸に加え、政治家の事務所が密集する日本の政治の中心地。ただ坂下には、わずかながら民家が残る。交差点の角には小さな酒店も。雑貨や菓子、弁当などもそろえた“永田町のよろず屋”。幅広い客層に、歴代首相はじめ“永田町の住民”も交じる。

 江戸幕府の歴代将軍が参拝を重ねた日枝(ひえ)神社。庶民からは「山王さん」と親しまれてきた神社へ通じる山王坂は、約200mにわたってかなり急な下り勾配を描く。現在、社殿へと上る石段の山王男坂が一般的に「表参道」といわれるが、権禰宜(ごんねぎ)の伊久裕之さん(28)は、「山王坂も、もともと表参道の一部と見て間違いない」と話す。

 衆議院の新議員会館2棟が開館した昨夏以降も、坂の両脇では周辺設備の整備工事が、来年末までの工期で続く。日中は絶え間ない重機の音。徳川将軍家の産土神(うぶすながみ)として高い社格を誇った神社の「表参道」の風情は、そこにない。

 ただ、両脇の議員会館をつなぐ「渡り廊下」を“参道の頭越し”に造る計画は、氏子たちの要望で取りやめとなった。氏子の1人は心中を明かす。

 「(渡り廊下の)計画を聞いた時は、伝統や景観を軽んじ過ぎてやしないかと、さすがに腹が立った」


坂下の交差点に面して立つ酒店「永田町 天竹」。坂の両脇には衆議院議員会館2棟がそびえるように立つ
語呂合わせ
 「サン(3)、ゴハイ(581)飲んで、ヨロヨロ(4646)」。坂下の交差点に面して立つ酒店「(株)永田町 天竹」(TEL.03・3581・4646)は、国会や政治家事務所の職員らから、語呂合わせで電話番号を覚えられている店だ。「天竹」はもともと天ぷら店の屋号だが、この地に酒店として開業したのは終戦後の1948(昭和23)年。父親が“永田町初代”という社長の荻原秀夫さん(62)は、「私が子どもの頃、坂の両脇は荒れ地。近くには、かまぼこ型の(屋根の)兵舎が残っていた」と回想する。

 以前、国会に勤めていた男性は「(職員の)独身寮にいた頃は、国会審議が徹夜になった時など、坂を“ヨロヨロ”と酒を買いに行った」と笑顔で明かしてくれた。歴代首相ら有力政治家がひょっこり買い物に現れたことも。竹下登、小泉純一郎、鳩山由紀夫…。荻原さんと妻の美鈴さん(59)は、「事務所が近所だった竹下さんは幾度かお見えになった。大物政治家といっても気さくな方が多い」と笑みを見せる。


遠藤恒夫さん(右)と荻原秀夫さん。永田町二丁目町会はザ・キャピトルホテル東急のオープン当日、地元町会として、お祝いのみこしを出した=2010年10月、日枝神社境内
政権交代も影響?
 首相官邸や議員会館への配達も多い。ただ、近年の接待自粛で売り上げは落ち込み、09年の政権交代後は、「お酒の注文がますます減った」と言う。代わって増えたのは、会議などで出されるペットボトルのお茶。一方、変わらない“隠れたベストセラー”は「のどあめ」だ。「大きい選挙の後は注文が増えますね」

 神社のすぐ近くで、うなぎ料理の老舗「山の茶屋」(TEL.03・3580・3055、予約制)三代目店主を務める遠藤恒夫さん(64)も「接待や政治家の勉強会で使われることは少なくなった」と語る。江戸後期からの「秘伝のたれ」を受け継ぐ同店は、かつては「一見(いちげん)の客お断り」。しかし、「6、7年前から、広く親しまれる店づくりに切り替えている」と話す。昼のコースは9000円(税・奉仕料別)から。「個室の座敷で、備長炭で焼いたうなぎを堪能していただければ…」

 昭和30年代、坂下には数十軒の民家が立ち並んでいた。しかし地価の高騰や開発で、ほかの地へ引っ越す人が相次いだという。地元の永田町二丁目町会長でもある遠藤さんは「以前から住んでいる世帯は数えるほどになった」。永田町小は93年に閉校に。最後のPTA会長を務めた荻原さんは「都心部に住んでいるのに母校がなくなるのは、やるせない思い」と話す。


荻原美鈴さん
“過疎の永田村”
 以前は店と住居を兼ねていた「天竹」も道路拡幅に伴う建て替えで建物を小さくせざるを得なかったため、自宅を別の場所に移している。荻原さん夫妻は店に“通勤”する日々。坂下にはパン店などもあったが、「ほかの店が閉まってからは、パンや弁当も置いている」。タクシー運転手や工事現場の作業員らの常連客にとっては、「安くておいしい昼食」だ。雑貨や文房具も並ぶ店内で、美鈴さんはほほ笑む。「ウチは“過疎の永田村のよろず屋”です」

 住民の1人は話す。「相続税などが払えず家と土地を手放した人もいる。政治は、普通の人が生まれ育った地に住み続けたいという声に耳を傾けてほしい」。少し皮肉を込めて、こうもつぶやいた。  「国会(議事堂)は近いけど…、私たちの声はなかなか届かない遠い存在です」


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