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無名坂。坂上に無名塾がある |
「無名坂」—。名前の無い坂ではない。れっきとした坂の名前。俳優を育成する「無名塾」のある坂といえば、うなずく人も多いだろう。無名塾を主宰する俳優の仲代達矢さん(78)が世田谷区岡本の現在地に移ったのは、1967(昭和42)年。34歳の時だった。けいこ場を兼ねた住まいとしてほかに候補地となったのは、多摩川の脇だったそうだ。当時は多摩川が決壊することもあったので、高台であることと、緑豊かで撮影所(東宝、日活)に近かったということでこちらに決めたという。
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75年に活動をスタートした無名塾は96年、この地に仲代劇堂(けいこ場)を建てた時、以前のけいこ場にあった詩をプレートにして外壁にはめ込んだ。
仲代達矢さん 撮影:鶴田孝介 |
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この中で記された「無名坂」が人知れず伝わり、現在に至ったのが坂名の由来だ。
坂下の上り始め、21度の斜度はかなり急で、毎朝この坂を上って通っているという塾生の松浦唯さん(22)は「最初のころは苦痛で、坂道の路面だけを見て上るのがやっとでしたが、最近では余裕が出て、季節の移ろいを楽しむことができるようになりました。雪が降ると滑って怖いので、遠回りをしなければなりません」と話す。足腰を鍛えるには絶好の坂。“上がる”というより“登る”という感じに近いようで、塾生とともに仲代さんも“登る”という。
坂上はイギリスの古城から運んだというれんがで造られた重厚な仲代劇堂や近隣の邸宅の高い石垣が、異国の趣を漂わせている。
仲代さんの義理の妹に当たるキャスターの宮崎総子さん(67)は、「移ってきた頃は、山を造成して宅地にしたようで、坂下は畑と森ばかりでタヌキも出たのよ」と話す。
無名坂は落ちるように急で、突き当たりは丁字路になっているためか車が通ることも少なく、人の気配もあまり無い。しかし、一つ北の坂は聖ドミニコ学園に沿っていて、車も往来し、生徒の登下校時はにぎわい、華やぎを見せる。 |
「ニシアンカフェ」でくつろぐ宮崎総子さん(右)と西田英代さん |
すてきなカフェも
その坂上に、おしゃれな「ニシアンカフェ」(TEL.03・3708・8516、木曜〜日曜日営業、新年は1月13日から)がある。テラス席に木漏れ日が差し、季節の草花で彩られた空間にジャズが静かに流れる。オーナーの西田武寛さん(71)、英代さん(69)夫妻の趣味が高じて、第二の人生のスタートとして始めたという。武寛さんが蕎麦(そば)を打ち、英代さんがもてなすセンスが光るカフェだ。
西田さん夫妻とご近所付き合いをしている宮崎さんは「素人のお二人がお店を始めた時には『2年ももつかしら…』と心配したけれど、今では本にも載るほど有名になって、遠くからも訪ねて来るのよ。お嬢さんの手作りのケーキは絶品」と太鼓判を押す。
こちらの坂も無名坂と同じく谷戸川へと下る。対岸の丘は旧三菱財閥・岩崎家が所有する庭園だった岡本静嘉堂緑地。うっそうと茂る雑木林が広がり、鳥のさえずりや川のせせらぎを耳にしながら歩くと、ここが都内とは思えない静寂な空間。この辺りは玉川八景の「岡本の紅葉」とうたわれた一帯。緑地には岩崎家が所蔵した国宝を含む古典籍、東洋古美術品などを収蔵する静嘉堂文庫、静嘉堂文庫美術館がある。また、敷地内にジョサイア・コンドルの設計による三菱財閥二代目・弥之助の霊廟(れいびょう)があり、往時の威光を放つ。
岩崎家ゆかりの地であるここ「紅葉ヶ丘(もみじがおか)」は、ちょうど無名坂から眼下に広がるこんもりとした森に当たる。塾生たちは坂を下りながら、季節の移ろいとともに変わる景色を楽しめるのだろう。名を残した先人の眠る丘の向こう、羽ばたく日を夢見て…。
(坂の会、坂学会 井手のり子) |
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