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満開の時季の播磨坂の桜並木=文京区アカデミー推進課提供 |
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播磨坂の半ばから下は、石畳の「和風ゾーン」。人工のせせらぎも流れ、夏は子どもたちの水遊びの場ともなる |
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道幅40メートルの播磨坂(文京区)は春、桜の花で覆われる。道の両側と中央分離帯の3列の並木。長さ460メートルに及ぶ“桜の公園”だ。戦後、戦災復興事業として造られた新しい道。住民が植えた花々の中に、桜の若木があった。それから半世紀…。老木となった何本かは伐採されたが、新しい木が代わって花を咲かせる。住民主導の「文京さくらまつり」は、40年近い歴史を刻む。
「環三さくら通り」ともいわれる播磨坂。坂の名は江戸時代、この地に松平播磨守(常陸府中藩主)の上屋敷があったことに由来する。小石川の古い道と思われがちだが戦後、都心部を周回する「都市計画道路環状三号線」として部分開通した“幹線道路”。計画凍結のため途切れた格好で、もう一つの通称は「幻の環三」。道幅の割に交通量は多くなく、春日通りから千川通りへと、なだらかに下る。坂下は、かつて「播磨田んぼ」と呼ばれた湿地帯だったが、今は“田んぼ”の面影はなく、事務所やマンションなどが混在する。
住民が“原形”作る
古くからの住民は、「坂ができたころは桜などなく、平屋の家が並んでいた」と回想する。桜並木誕生のきっかけは1960(昭和35)年の「全区を花でうずめる運動」。東京五輪を控え、都内で緑化活動が盛んになった時期と重なる。地元の町会長で現在、「文京さくらまつり」実行委員長も務める渡辺秋彦さん(69)は「町会の“おばちゃんたち”が、自費でいろいろな花を植えた」と話す。「その中に桜の木もあったようです」
渡辺秋彦さん |
高橋智子さん |
その後、住民の要望を受けた文京区が播磨坂を“公園道路”と位置付け、95年春までに中央分離帯の場所を、レンガ敷きや石畳の「散歩道」として整備した。彫刻や人工のせせらぎ、レンガ造り風の公衆トイレも。120本を超す桜はほとんどがソメイヨシノだが、珍しい鬱金(うこん)桜も交じる。初めに住民が植えた桜のうち数本は老木になり伐採されたが、その跡には新しい桜が枝を伸ばす。坂上近くに住む高橋智子さん(84)は趣味の写真撮影で春、頻繁に足を運ぶだけに、こう語る。「20年前の写真に比べると、全体に桜の木が大きくなっているのが分かります」
桜だけでなく、四季折々の花が咲く播磨坂の「散歩道」。おしゃれな雰囲気のレストランや喫茶店、洋菓子店などは、店内からも桜を望めるよう大きなガラス張りの設計だ。近くには室町時代からの名水といわれた「極楽水」、石川啄木最期の地など、数々の史跡も点在する。散策の人が木漏れ日の中、「散歩道」のベンチで足を休める。
播磨坂の半ばから上は「洋風ゾーン」になっている |
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8万人の人出
今年で39回目となる「さくらまつり」は、もともと地元5町会の親ぼく行事だが、ここ数年の人出は約8万人に上る。湯島天満宮の「梅まつり」、根津神社の「つつじまつり」などと並び、今や「文京花の五大まつり」の一つ。満開予想日に近い土・日曜日は車両通行止めで、多彩なイベントが繰り広げられる。実行委員の男性は「歩行者天国になる桜の坂は東京でもここだけでは…」。区職員として、まつりにかかわってきた縄崎吉之助さん(57)は「10年ほど前から観光バスまで来るようになった」と語る。
渡辺さんは「今も住民の交流が一番の目的」と言う。坂下で播磨坂と交差する吹上坂など、この地には古くからの坂もあるが、住民の多くは「以前は坂上と坂下の行き来はほとんどなかった」と振り返る。
渡辺さんはこう言葉を継ぐ。「桜への思いが地域の“ご縁づくり”につながっている」。播磨坂沿いや周辺には近年、マンションが増えているが、「まつりは新しい人が地域になじむ最適の機会です」。
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文京さくらまつり
20日(土)〜4月4日(日)、播磨坂(地下鉄茗荷谷駅徒歩7分)で。3月27日(土)、28日(日)は午前10時半〜午後3時半、“歩行者天国”に。子どもたちの吹奏楽・和太鼓演奏、東京消防庁音楽隊パレードなどを予定。地元町会の露店も。
文京区観光インフォメーションTEL03・5803・1941
http://www.b-kanko.jp |
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