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菊坂やその周辺には、明治~昭和の文人ゆかりの史跡や文化財が“密集”する。樋口一葉が通った旧伊勢屋質店の土蔵や木造の建物が往時をしのばせる(道路左側) |
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「まわり住民の会」は2月中旬まで、電飾を利用した「町を明るくする運動」を展開している。大塚真純さん(左)と福満喜弘さんは、「痴漢がいなくなったようです」 |
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漱石、一葉、啄木―。数知れぬ文人が行き来した本郷は、菊坂を中心とした〝坂のあるまち〟だ。古い木造の建物が交じる落ち着いた町並み。そんな“本郷らしさ”を守り、魅力を発信しよう―。マンション建設計画をきっかけに発足した住民団体は、景観保全以外にも活動の幅を広げる。散策マップ作製、ゆかりの文人研究…。商店街振興にも力を注ぐ。
本妙寺坂、炭団坂、梨木坂、胸突坂―。菊坂の左右の道は、急な上りこう配を描く。菊坂だけは、「坂」という実感がわかないほど緩い傾斜。本郷通りから言問通りまでの約600メートルにわたって、わずかずつ下る。菊坂の場所は本郷台地の“谷”に当たり、かつては川が流れていた。1889(明治22)年の改修で、現在の道筋になったが、古くからの住民は町の記憶をたどる。「昔は太鼓橋が架かっていた。川は今、(地下水路となったため)道路の下です」
菊畑から文人の町へ
江戸時代、辺りは菊畑が広がっていたが、明治以降は、樋口一葉や坪内逍遥、石川啄木、宮沢賢治らが住み、“文人の町”の歴史を刻んだ。菊坂沿いには、一葉が通った旧伊勢屋質店など、関東大震災や大戦の空襲による被害を免れた木造建築や土蔵が残る。近くには一葉が使った井戸など、文人の暮らしをしのばせる史跡も。夏目漱石の小説などに書かれた情景の面影を探す町歩きの人も少なくない。
とはいえ都心部の一等地とあって、新しいマンションや商業ビルも目立つ。「まわり住民の会」は2004(平成16)年4月、NPO法人の認証を受けたが、活動の起こりは菊坂近くのマンション建設計画が持ち上がった8年ほど前にさかのぼる。理事長の大塚真純さん(62)と理事の福満喜弘さん(70)は2人とも、もともと経営コンサルタント。キャリアを生かし、開発業者に町並みに配慮した設計を働き掛け、「外観などの大幅変更にこぎ着けた」と話す。「住民の会議は385回、設計変更は21回」。大塚さんは「住民の意識が高まり、(活動が)マンション対策だけで終わるのはもったいない―という声が多く出た」とNPO設立時を回想する。地元の主婦らも会員に名を連ねるNPOの活動は、花いっぱい運動や清掃、防犯など幅広い。
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「まわり住民の会」が作製した「菊坂界隈文人マップ」。60歳を過ぎてから本格的に絵画を始めた福満さんが、本郷ゆかりの文人の似顔絵を描き、それぞれの見どころにあしらっている |
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伊東泰則さん |
本やパンフ発行
大塚さんと福満さんは、本郷の文化財や史跡、名所を紹介した書籍や冊子、パンフレットも数多く手掛ける。代表作は2人の共著「樋口一葉日記を数量として分析してみると」(1000円)。一葉の困窮ぶりをデータで浮き彫りにした内容で、「ある熱心なファンから(一葉のイメージを損なうと)苦情が来た」と福満さんは笑顔を見せる。「菊坂界隈文人マップ」(200円)は、坂沿いの店で入手できる散策マップ。昨年12月放映の「ブラタモリ」(NHK総合)で、このマップが紹介された後は、多い日で一日50枚以上売れている。
商店街の活性化にも熱心だ。「菊坂の特性をアピールし、にぎわいを創出したい」と福満さん。「まるや肉店」(TEL03・3812・0654)は、福満さんの助言を得て、一葉の肖像画が5000円札になった04年、「菊坂コロッケ」を売り出した。ジャガイモのほくほく感と合いびき肉のうまみを生かしたコロッケは今や「菊坂の新名物」。店の前のベンチに座り、揚げ立てを口にする人もいる。手作りで一日に作る個数は限られるとあって、店主の伊東泰則さん(68)は「夕方前に売り切れてしまうことも多い」と話す。
大塚さんは、本郷を「下町と山手の接点」と評する。「双方の文化を持つ本郷の良さを守り育てたい」。傍らの福満さんは、「活動を通し、本郷がいい意味で変わっていく感じが面白い。楽しみながら活動を続けたい」と言い添えた。 |
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