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高輪消防署二本榎出張所。玄関は御影石に木の扉。望楼の表面はクリーム色の磁器タイルで覆われている |
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石垣や生け垣の続く桂坂は「東京屈指の名坂」といわれる。江戸時代からの坂だが、現在の道筋になったのは昭和初期だという |
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かつて、眼下に海を望んだ高輪の台地。桂坂の両側に続く石垣が“お屋敷町の風格”を今に伝える。坂上の二本榎(えのき)通りは、昭和の面影を残す商店街。望楼のある消防庁舎は昭和初期の建築で、「高輪のシンボル」として街に映える。ことし春、地元商店会が運営するカフェもオープンした二本榎通り。一時期、東海道の役割も果たした古道は時代を映し、新たな歴史を刻み続ける。
桂坂は高輪の台地から江戸時代の海岸線近くに至る道。500メートル近い長さだが、高さのある石垣、石垣や家屋を覆うツタ、生け垣が、変化と情感に富んだ景観を生む。「つたかずら」が坂名の由来といわれるが、「かつら」で変装し遊里通いをした僧がこの坂で急死した“事件”にちなむという説も有名だ。
海抜25メートルの坂上は、二本榎通りとの交差点。江戸時代、この地にそびえた2本のエノキが、東海道を行き交う旅人の目印になったと伝えられる。
交差点に面して建つ高輪消防署二本榎出張所。3階建ての上に望楼の付いた耐火建築は、1933(昭和8)年の完成だ。築75年以上たった今も“現役”の庁舎。かつては東京湾上からも建物が見え、戦艦・三笠を模したともいわれる外観は「海原を行く軍艦」と呼ばれたという。
くつろげる場を
江戸時代、武家屋敷や寺社が広い土地を占め、明治以降、皇族や政府高官、財界人が邸宅を構えた高輪の地。二本榎通りの店の多くは“お屋敷の御用聞き”で収益を得ていたため、「昔は少し気位が高かったようです」と、商店会「メリーロード高輪」(高輪町栄会)会長の大駒敏さん(64)は笑みを見せる。
大戦の空襲を免れ、昭和30年ごろは約160店が軒を連ねた。バブル期などを経た現在、店舗は半数以下に減ったが、和菓子、お茶、豆腐、テーラーなど、“昭和の薫り”をとどめる看板をそこかしこに見ることができる。
高級マンションが増えつつある今、大駒さんや副会長の町井光子さん(66)は「高輪になじみが薄い人も気軽に足を運べ、ほっとできる場がほしかった」と話す。
港区の支援を受け、空き店舗を活用したカフェ「cafe10」(TEL03・6459・3151、木曜日定休)をオープンさせたのは、ことし3月。いす10脚の小さな店だが、加盟店の情報やガイドマップ「高輪散歩」が入手できる。白い壁は「ミニギャラリー」。絵やイラストのほか、夜、ライトアップされた高輪消防署二本榎出張所のパネル写真も。同出張所長の本村久美さん(57)が「開店祝いに…」と贈った1枚だ。
出張所庁舎は、第一次世界大戦後に流行した「ドイツ表現派」の建築設計。柱や階段など随所に曲線や曲面を用いながらも、機能性を重視した力強く躍動感のあるデザインだ。3階の円形講堂にはアールヌーボー風のガス灯も…。
カフェ「cafe10」の店内。ひき立てのコ−ヒーの香りが漂う |
大駒敏さん |
本村久美さん |
昭和50年代、建て替えの計画が持ち上がったが、住民や日本建築学会の要望を受け保存と活用の両立が決まったという。埋め立て地が広がった今、望楼から海を望むことはできないが、海側に下る桂坂の道筋や周辺の起伏を眼下に見渡すことができる。
二本榎出張所は、庁舎内の見学にも応じている。「建物を通して高輪の文化を感じてもらえれば」と本村さん。「ただ、出動時はご案内できないことも。申し訳ないですが…」笑顔を見せた。
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高輪消防署二本榎出張所
見学申し込みは午前9時〜午後4時、1階受付へ(消防・救急出動時は対応出来ないことも)。
TEL03-3473-0119 |
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