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神田川から目白台に上る胸突坂。「胸突」の坂名は江戸時代、よく急坂に付けられた。文京区には、ほかにも2つの「胸突坂」がある |
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上る時、足が胸を突くような前傾姿勢に─。神田川から目白台に至る胸突(むなつき)坂は、急な傾斜が坂名の由来だ。美術館や史跡に面した坂でもあり、夏は行き交う人たちが汗をぬぐう。坂上から少し足を延ばすと、古い民家も交じる住宅地。
昭和初期からの銭湯が、ほぼ建てられた姿のまま、たたずんでいる。全身の汗を洗い流し、町の“癒やし”を守る人の思いに接した。
神田川を背に胸突坂を見上げる。右手は松尾芭蕉ゆかりの関口芭蕉庵。左手は神田上水の守護神とされる水神社。双方から伸びる木々の枝葉が、坂に濃い影を落とす。
江戸時代の文献に坂名の由来が記された古い道だが、今は階段や手すりが整備され、“胸を突く険しさ”を和らげている。坂上には2つの美術館、永青文庫と講談社野間記念館。広大な庭園を持つ椿山荘も近く、辺りは散策ルートとして親しまれている。
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月の湯。本瓦ぶきの唐破風や三角千鳥破風、木の格子が昭和初期の銭湯建築の風格を醸し出す |
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山田義男さん |
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番台に座る山田良子さん。番台の目隠し板などにも凝った装飾が施されている |
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最寄りの地下鉄駅から少し距離があるためか、坂上の住宅地は落ち着いた家並みを残す。昭和初期に建てられた銭湯「月の湯」。
寺院などに見られる瓦ぶきの破風は、戦前の銭湯建築の特徴という。高い格子天井や鈍い光沢を放つ太い柱、装飾ガラス…。銭湯の多くが番台を廃し、フロント形式に改修しているが、ここの番台は昔のままだ。
“だんなさん”の山田義雄さん(64)は「今、番台は男子禁制」と湯温調整などの裏方に徹する。番台に座るのは、妻の良子さん(59)と義妹の山田智子さん(57)、そして「50年以上ここにいる」と豪快に笑う塚原敦子さん(71)だ。
現在、客数は昭和40年代の数分の一というが、智子さんは「近ごろは近くのマンションからも親子連れで来てくれます」。子どもに、弾んだ声で話し掛ける。
一度は閉店
実は、月の湯は一度閉店したことがある。“最後の営業”は2007年12月。近所でそば店「進開屋」(TEL03・3941・2866)を営む佐藤博さん(58)、富江さん(55)夫妻は「『やめないで』という声がすごかった」と振り返る。
義雄さんたちは「閉店は結局1カ月だけでした」。営業日を週3日に減らした上で、再開店に踏み切った。
外観、内部ともほぼ建築時のままとあって、映画やテレビドラマの撮影に使われることも多い。脱衣所には、ジャッキー・チェンのサイン入り色紙。近ごろはイベント会場としての人気も高く、バンドの演奏に合わせて歌う「歌声銭湯」や「古本まつり」などが催される。
古本まつりの運営に携わり「今はお風呂のそうじを手伝っています」という金子佳代子さん(41)=豊島区・旅猫雑貨店=は、昨年夏「月の湯かわら版」と題したブログ(インターネット上のサイト)を立ち上げ、季節の話題やイベント情報を発信する。
“坂の上の街”目白台は、坂下に比べ風が強く、木枠のガラス戸を時折「カタカタ」と揺らす。「風があるから、湯冷めに気を付けて」「ありがとう。おやすみなさい」。番台と客との何げないやりとり。風呂から上がってもすぐ帰らず、世間話を楽しむ顔なじみも少なくない。
常連客の一人、小池章浩さん(63)は、「ここは、かけがえのないくつろぎの場」と話す。
良子さんは「そんな声に接すると、できるだけ(銭湯を)続けたいとあらためて思います」。富士山のペンキ絵に視線を移し、穏やかな笑みを見せる。
月の湯を会場にした古本まつり。籐(とう)かごは普段、着衣や荷物入れとして使われている=09年4月 |
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