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小学校、中学校への通学路となる相馬坂。
大樹がうっそうと茂る「おとめ山公園」は地元の“オアシス” |
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子どもも花を育てる
相馬坂(新宿区)は落合の台地、「おとめ山公園」の西側を上る坂である。「おとめ山」とは、何とも優しい響きのある名前だが、江戸時代には「御留山」あるいは「御禁止山」と記された。ここは将軍の狩猟場として立ち入りを禁止されていたのだ。その後、明治になって旧藩主の血を引く相馬家の所有となり、屋敷に上る坂を「相馬坂」と呼んだ。都心近くにあって今なお自然の残る相馬坂周辺。そこには自然を守ろうと連携する地元住民の姿があった。
坂を上り始めると、中ほどから落合第四小学校、落合中学校と並んで続く。校舎とは思えないモダンな建物の前で坂は上り切り、「相馬坂」の標柱が立つ。中学校の周囲にはハナミズキが植えられ、その狭い根元に色とりどりの花が植えられている。地域ボランティアとして活動する「花植え隊」の手によるものだ。小学生を中心に季節の花をみんなで育てているという。
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赤萩やよいさん |
花植え隊の世話役、赤荻やよいさん(41)は、少しでも空いている所には花を植えたいとほほ笑む。「最近は緑化が注目されていますが、今ある緑を欠かさずに守っていくことが大切だと思います。それを大人だけがするのではなく、子どもたちも一緒にしていかなければ」と新宿区エコライフ推進員の顔ものぞかせる。
植え込みのわずかなすき間を掘っていた子どもたちは「自分が植えた花がどんな風になっているのか気になって時々見に来るよ」と素手で土の感触を楽しんでいる。小学校の元PTA会長・森山崇さん(61)が見守る中、虫もミミズも平気。
堀尾慶冶さん |
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“秘境”の面影残す
小中学校の登下校時はにぎわう坂も、それ以外の時間はあまり人や車の行き来も多くなく、カラスの鳴き声が辺りの静寂を遮る。
坂上からおとめ山公園に足を踏み入れると、昼なお暗くうっそうとした空間が広がる。森の精気が辺りに漂い、空気が一服の清涼剤に。「御禁止山─私の落合山川記」(武田助雄著・創樹社)では1962(昭和37)年ごろのおとめ山を「落合の秘境」と紹介しているが、いまだその名残をとどめている。
「おとめ山の自然を守る会」の代表・堀尾慶冶さん(79)は「明治以降この山の西側一帯は相馬家が所有していました。戦後に分割売却されて庭園
も取り壊しになるというところを、地元の人たちの保存運動で新宿区立おとめ山公園になったのです。しばらく荒れ放題の時期もありましたよ」と話す。
相馬家はかつて屋敷の一部を池泉回遊式庭園「林泉園」として一般に開放していたという。そんな相馬家への恩返しからか、現在も清掃活動などで地元ボランティアが自然保存運動を続ける。
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「どんな花が咲くか楽しみ」。相馬坂に苗を植える「花植え隊」 |
蛍の復活も進める
こうした運動の成果で、枯れゆく湧(ゆう)水も、新宿区ではここだけに残っている。この清流を利用して園内の蛍舎では蛍の飼育も。
坂下一帯の下落合は神田川と妙正寺川の落ち合う所で、「江戸名所図会」にも描かれた蛍の名所。区が行っていた蛍の飼育が中止になると、その後「『落合蛍』を育てる会」として、地域で活動を引き継ぎ、落合蛍の復活に取り組んできた。年に1日、蛍鑑賞会の日はこの“秘境”が大勢の人でにぎわう。
相馬坂はこの地を愛し、自然を守る人たちとともに、時を重ねている。
(坂の会・井手のり子)
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森山崇さんは本来、えんび服が仕事着。
高田馬場管絃楽団や落合少年少女合唱団の指揮を務める |
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