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赤坂の繁華街方面へまっすぐ下る氷川坂。
坂沿いには高級マンションやオフィスビルが建つ |
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都心部から姿を消していった江戸型山車が、100年近い歳月を経て、港区赤坂に復活した。氷川(ひかわ)坂と本(もと)氷川坂に境内を接する赤坂氷川神社の「赤坂氷川山車」。長く使われることなく傷みが進んでいたが、住民たちによるNPO法人が1台を修復。2007年秋に続き今年3月、4月にも巡行させる。9月までには2台目もでき、そろって赤坂に“江戸の華”を開かせる。
赤坂氷川神社を挟み、2つの坂がこう配を描く。直線で車が行き来する氷川坂と、石垣や樹木が江戸の風情を醸す本氷川坂。神社を出た山車は氷川坂を行く。うねって狭いためか、山車が巡行しない本氷川坂の坂下には、勝海舟が幕末・維新の激動期を過ごした旧宅跡がある。その地に建つビルでクリーニング店を営む倉林章さん(71)は「住民の入れ替わりは激しいですが、50年以上のお客さんもいます」と話す。
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石垣や樹木の影が落ち着いた雰囲気をつくる本氷川坂 |
“せり出す”人形
意匠を凝らした人形や水引幕が下部から“せり出し”高さ8メートル近くになる江戸型山車。江戸、明治と「粋の文化」は受け継がれ、同神社拝殿には山車巡行を描いた1911(明治44)年の大絵馬が残る。しかし「その後ほどなくして巡行は絶えたようです」と禰宜(ねぎ)の惠川(えがわ)義浩さん(36)。もともと13台あったとされるが、大戦の混乱などで減少。残った9台も老朽化や破損が進み、原形をとどめないものもあるという。
惠川義浩さん |
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惠川さんが修復の相談を氏子らに持ち掛けたのは3年ほど前。現在、NPO法人赤坂氷川山車保存会副理事長を務める出野泰正さん(59)は「“待ってました”という感じでした」と振り返る。41歳の時まで一ツ木通り沿いに豆腐店を構えていた出野さんは「お祭り大好き人間」。赤坂一ツ木町会会長として、町会や商店街の集まりなどで、山車復活を訴えてきただけに、惠川さんらと一緒に氏子の23町会や商店街、企業を回り、運動への参加や協力を呼び掛けた。
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出野泰正さん |
NPO法人の設立は06年9月。修復には1台数千万円かかるが、TBSなど企業の協賛も得て、山車の下部1台分を復元した。比較的保存状態が良かった人形2体「二人立(ににんだち)」「頼義」に加え、豪華な水引幕も修復。07年9月の同神社例大祭「氷川祭」では「二人立」を乗せた山車が赤坂の繁華街に繰り出した。山車の引き手希望も殺到し「新しい住民と交流できた」と出野さんは満面の笑みを見せる。出野さんと同じ中学で同学年だった約250人のうち、今も赤坂に住むのはわずか4人。「過疎の村みたいだと思っていた。でも山車復活をきっかけに大勢の友達と再会できました」
店の“看板犬”の「キャンディー」を抱く「ファンソン・カフェ」のフジモトマミさん |
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山車は坂に映える
「赤坂春まつり」に合わせ、3月28日(金)と4月6日(日)には、「頼義」を乗せた山車が巡行する。9月の氷川祭までには、2台目も出来上がる。1台目の山車よりひと回り大きく「頼朝」や「日本武尊(やまとたけるのみこと)」といった大型の人形が乗る。「3台、4台と増やしていきたい」と意気込む出野さん。惠川さんは「人形や水引幕の修復にも努めたい。巡行が赤坂の発展にもつながれば…」と話す。
「山車は坂で映える」。出野さんおすすめの見学場所は氷川坂だ。「坂を上り下りする時、山車が傾く。華やかさが増し本当に美しい」。ふだんはこれといった特色のない氷川坂だが、巡行の日は“最高の舞台”になる。
本氷川坂の坂下にある「ファンソン・カフェ」(TEL03・3585・5587)では、おいしく消化の良い酵素玄米の食事やオーガニックコーヒーが味わえる。オーナーのフジモトマミさん(36)はポップス歌手でもあり、自身が選曲した心安らぐ音楽が店内に流れる。フジモトさんは商売繁盛と客の健康を祈り毎月2回、同神社にお参りするそうだ。
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2007年9月の氷川祭で巡行された「赤坂氷川山車」。
人形は「二人立」=赤坂通り |
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