|
「急坂」と呼ばれる岡本三丁目の坂。
道の片側には歩行者用の階段が整備されている |
|
東京には名前のある坂が1000近くあるが、名前の定まっていない坂もまた多い。世田谷区の「岡本三丁目の坂」も“無名”の坂。急坂を上ると視界が開け、よく晴れた日はほぼ正面に富士山を望む。周辺は閑静な住宅地。所々に樹林や農地もあり、東京23区内とは思えない武蔵野の面影を残す。ただ近年、急速にマンションや住宅が増え、緑の景観が削られている。
傾斜20度を超す「岡本三丁目の坂」。住民の多くは「急坂」と呼ぶ。多摩川にほぼ並行する急斜面・国分寺崖線 (がいせん) を真っすぐ上る坂。坂上の眺望を遮る高い建物はなく、初老の女性は「丹沢の山々(神奈川県)と富士山…、夕景は特にきれいです」と、坂を上る足を休めながら山並みを見る。テレビなどのロケに使われることも多く、住民のひとりは「『ウルトラマンT (タロウ) 』だったかな。車が“落ちるような勢い”で坂を駆けるシーンは迫力がありました」と話す。
|
中西修一さん |
近年は見晴らしの良さが「口コミ」やインターネットを通して知られるようになり「岡本の富士見坂」といわれることも。坂上には国土交通省関東地方整備局の「関東の富士見100景」の標柱。「世田谷百景」にも選ばれ、すっかり“有名”になった坂は、世田谷区の街づくりと環境保全を図る「(財) 世田谷トラストまちづくり」発行の崖線散策マップでも「岡本三丁目の坂」として紹介されている。
冷たい雨の中、通称「ドーゲート坂」を案内してくれた内藤光子さん |
|
複数の三丁目の坂
この地の歴史や民話を調べる内藤光子さん (62) は「わたしは別な坂を『岡本三丁目の坂』と言っていましたが…」と首をかしげながらも笑顔を見せる。内藤さんが指した坂は少し東側の通称「ドーゲート坂」。この坂沿いに10年ほど住んだ内藤さんは「坂名の由来も調べました。近くにお堂があったので『堂ヶ谷戸(どうがやと)坂』。発音が変化して今の通称になったようです」と説明する。2つの坂は「古くからの幹線道路」。坂上の台地と坂下の低地は、同じ小中学校の学区内とあって「住民同士の行き来は密ですね」と話す。
緑に恵まれたこの地にはかつて、二・二六事件に倒れた高橋是清ら政治家や実業家の別邸が点在した。1970年代から次第に宅地化が進んだが、最寄りの東急・二子玉川 (ふたこたまがわ) 駅から歩いて20分前後と距離があり、雑木林を含む郊外の風景を残してきた。80年代後半から90年代初めのバブル期も「乱開発の手から逃れてきた」と住民たち。坂下に近い畑には、冬の日差しの下、野菜を収穫する老夫婦の姿があった。小松菜や大根、ブロッコリー…。野菜の無人販売所もあちこちにある。
|
坂下から見た岡本三丁目の「急坂」。
坂下にある自動教習所にちなみ「日産坂」の別称も |
イメージも変化
「新築ラッシュ」減る緑
しかしここ数年、辺りの変化は急速だ。「マンションや家屋の新築ラッシュ。景観保全の面で危機的な状況」と、坂下近くに事務所を構え自然環境関係のコンサルティングに当たる中西修一さん (50) は指摘する。「おしゃれなスポット」といわれる二子玉川駅周辺のイメージが広がり「岡本なども今は若い人が住みたい街になった」と内藤さん。駅周辺は「ニコタマ」の愛称で知られるが「買い物などに来る若者の言葉。元からの住民は使いませんね」と苦笑する。
手作りクッキーを手にする「喫茶ぴあ」のスタッフ |
|
内藤さん自身、30年余り前に引っ越してきたが「この地の自然を愛する心を育てたい」と、中西さんたちとともに子どもが川に親しむ活動などに携わる。住民が集う鎌田区民センターの広報紙を編集し、郷土史や民話、自然をテーマにした「地域を知る」をここ10年ほどの間に24回書いた。「住む人が地域への愛着を深めてくれれば」。25回目以降の“取材”に歩く。
岡本三丁目の坂沿いに飲食店はなく、足を休める場は限られている。鎌田区民センター1階にある「喫茶ぴあ鎌田店」(TEL03・3709・4316) は、知的障害者の保護者たちでつくる「世田谷区手をつなぐ親の会」が運営する。
「手作りのカレーが評判です」と、加藤幸子店長。ホットコーヒー200円などと安いが「すべて本格的」と笑顔を見せる。世田谷区との交流がある群馬県川場村のヨーグルトやソーセージも。障害者が作ったクッキーなどは持ち帰りもできる。
|
|
坂下の丸子川沿いは約900メートルにわたって親水公園として整備されている。高度成長期には汚染が目立ったが、近年は水質が改善されたという |
『喫茶ぴあ鎌田店』
TEL:TEL03-3709-4316 |
|
| |
|