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脚がすくむような急階段の愛宕男坂。
ここを馬で上り下りしたとは信じられない |
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“出世の石段”で有名
平地から急に断がいをなす丘である愛宕山は格好の展望台だ。同所にある愛宕神社へと続く「愛宕男坂」。坂の急な石段は“出世の石段”の異名を持ち、初詣でにはスーツ姿のビジネスマンも多い。往時は茶屋が軒を連ね、江戸一番の眺望を楽しめたという。時代を経てさまざまなエピソードに彩られた同坂を上った。
愛宕神社の大きな鳥居をくぐると、眼前にそびえるような86段の石段。傾斜は40度近くと、かなり急で、見上げると一瞬息をのむ。ここは一気に上ることを余儀なくされる石段だ。途中でリズムを崩すと、ふぞろいの石段にバランスを失うようで怖い。急な「男坂」に臆(おく)した人は、右手にある比較的なだらかな「女坂」へ。
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愛宕男坂より緩やかな愛宕女坂 |
上りきれば江戸の守りの神・愛宕神社だ。江戸時代にはその眺望を誇り、浮世絵にも描かれた景勝の地。横浜の外国人写真家フェリックス・ベアトが撮影した広大なパノラマ写真を見ると、まるで映画のセットのような武家屋敷の甍 (いらか) が幾重にも連なっている。勝海舟と西郷隆盛はここから江戸の町を一望し、「戦火で焼失させてしまうわけにはいかない」と、無血開城に導いたというエピソードも。
講談再現を生中継
また男坂は、講談・曲垣平九郎の“出世の石段”でも有名だ。徳川家光の増上寺参詣の帰路、馬術の達人だった平九郎が、この急坂を騎馬で上り、山上の梅花を家光に奉ったという話。講談の世界の話と思っていたが、ほかにも騎馬で実際に上り下りした人がいたという。
曲垣平九郎が将軍家光に手折り奉ったといわれる梅の古木が今も残る |
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「愛宕神社宮司だった松岡豊さんという方が騎馬で駆け上がった人を目撃したそうです」。そう語るのはドキュメント作家の俵元昭さん(78)。
「わたしが松岡宮司から聞いた話では、大正14年11月8日、陸軍参謀本部の馬丁だった岩木利夫という人が、当時自分がかわいがっていた『平形』という馬が払い下げになるのを知って、『この馬の真価を天下に知らせたい』と石段上りを行ったというのです」
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俵元昭さん |
俵さんはその時の様子を臨場感たっぷりに続ける。「岩木さんは愛馬に両ムチを入れ一気に上り詰めました。上る際、蹄 (てい) 鉄から火花が散っていたそうです。結局、騎馬での上り下りに成功したのですが、馬の脚やお尻は血だらけになっていたそうです」。ラジオ放送を始めたばかりの東京放送局 (JOAK、後のNHK) の局員もその様子を見ていたようで、臨時ニュースとして流したため、石段下は大騒ぎになったようだ。この時の放送が初の生中継ともいわれている。
愛宕山の山頂にあったJOAKは、現在ではNHKの放送博物館となっている。同館ができるまでは、山頂には木々がうっそうと生い茂っていた。
町会長を務める夫の悦郎さんと、ワインの講師も務める恭子さんの小西さん夫妻 |
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創業150年の老舗
「子供心に立ち入ってはいけない異界の雰囲気がありました」と語るのは、愛宕神社の鳥居脇で酒店を営む小西恭子さん (59)。同店は150年続く老舗だ。「歌舞伎『魚屋惣五郎』で“愛宕下で酒を買ってきた”というのはうちの店じゃないかなと思うんですけどね」と笑う。
「子供のころはあの石段は格好の遊び場でした。特にジャンケン遊びの『グリコ、チョコレート、パイナップル』にはうってつけでしたよ。最近は外国の方が多く住むようになり、うちの店の品も日本酒からワインへと比重が移りました」。小西さんは、今はワインコーディネーターの肩書も持つ。
ワインといえばソムリエ界の第一人者田崎真也氏がオーナーのレストラン「T(てぃ)」が神社の境内にある。食材をすべて東京都産にこだわった同店。なぜこの地に開店したのか尋ねたところ、同店スタッフの出蔵哲夫さん (32) の口から「放送発信の地であるこの地から食の文化を発信していきたいという思いからです」との答えが返ってきた。(坂の会 井手のり子)
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愛宕神社境内の木陰で食事ができるレストラン「T」 |
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