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竹垣とツタに覆われた家が独特の景観をつくる日無坂 (左) と富士見坂のY字路 |
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樹林に覆われ、昼なお暗かった日無 (ひなし) 坂。江戸時代からの古道だが、大戦の空襲で辺りが焼け、今は住宅が影をつくる。ただ、急で狭い階段状の道は、ほぼ往時のまま。ツタの絡まる民家や竹垣と相まって、わずかではあるが江戸情緒を醸す。富士見坂との合流点に立てば、南へ開がる視界に新宿高層ビル群。夜空に無数の光を放つ "新都心の樹林" を望む。
1枚の航空写真がある。終戦後10年近くたった1954 (昭和29 ) 年、目白台を撮った貴重な記録。東側の文京区には空襲を免れた樹林があるが、豊島区との境界になる日無坂に木々はない。
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友正 有さん |
坂に関する幾つかの本で「名坂」とされる日無坂だが、地元の知名度は意外なほど低い。神田川に近く、銭湯や町工場などが下町情緒を伝える坂下の街。路地から坂に入るが、案内板はなく「この先車両通行止め」との注意書きだけ。この地に生まれ育った後藤千代子さん (70) は「戦争中は坂の近くに防空壕 (ごう) がありました」。早稲田大のキャンパスにも歩いて行けるとあって「昭和のころは下宿が多かった。学生さんの下駄 (げた) の音が夜も聞こえました」と懐かしそうだ。
両側に住宅やマンションが建つ坂は傾斜がきついため、坂上近くは階段で手すりも整備されている。上りきった所は富士見坂との合流点。坂上から見るとY字路で、その正面に竹垣とツタに覆われた家がある。スケッチや写真撮影の人にとっては「絵になる風景」とあって、遠くから足を運ぶ人が少なくない。
「ゆったりとした雰囲気の中、くつろいでいただきたい」と話す和茶カフェ四季彩庵の中尾理香さん |
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坂上の目白通りで長年、荒物店を営む尾上健一さん (83) は「昼でも怖くなるくらい暗かった」と、戦前を振り返る。54年、目白台の航空写真を撮った「写真の家」の友正有 (ともまさ・たもつ) さん (69) = (株) 友正写真館代表取締役 = は撮影時、飛行機に乗って父親の仕事を手伝った。その写真を見ると、坂の両側は樹林に代わって終戦後できた家が建つ。そのころは坂上から富士山を望んだが、「60年代半ばには見えなりました」と友正さん、尾上さんは口をそろえる。
友正さんの長男・岳 (たけし) さん (36) = 同社専務取締役 = は、新宿高層ビル群の "先駆け" 京王プラザホテル(本館)ができた71年の生まれで「物心ついたころから高層ビルがありました」と言う。「高層ビルが増えるのを見て育った」とも。余話ながら岳さんは人間国宝の落語家・五代目柳家小さん(故人)の孫、柳家花緑と同じ中学校。花緑の色紙が飾られた店内で「今も独演会などを撮らせてもらっています」と語る。
日無坂は近年、テレビのロケなどに、たびたび使われるようになった。友正さんにとっては、かつて通学で毎日上り下りした身近な坂。ここ数年で家並みも変わっただけに、名坂の評に少し戸惑いも感じている。
胸突坂や幽霊坂、豊坂 … 。
目白台から神田川へ下る急斜面には坂が多い。歴史や自然を感じさせる坂巡りのコースとして人気があるが、飲食店はあまりない。
日無坂の坂上に近い「和茶カフェ四季彩庵」(TEL03・3980・1255) は、今年5月の開店。静岡茶、宇治茶のせん茶、抹茶などの飲み物やランチが楽しめる。店長の中尾理香さん (31) は、車に乗って目白台の坂を下った際「ジェットコースターに乗ったみたいで驚きました」と笑顔を見せた。
『和茶カフェ四季彩庵』
TEL :03-3980-1255 |
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