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定年時代
 
  坂のある街 平成19年8月号  
大戦で消えた“幻の味”  どりこの坂/大田区

どりこの坂。坂の左手に「どりこの」の屋敷があった
 
 田園調布に「どりこの」という、一風変わった名の坂がある。「どりこの」は、戦前人気を呼んだ飲み物の商品名。開発した医学博士の屋敷が坂沿いにあったことから、誰ともなく「どりこの坂」と呼ぶようになった。大戦の原料不足で製造中止となり、今その“のどごしの記憶”を持つ人はほとんどいない。“幻の味” を求めて、坂とその周辺を歩いた。

田園調布に名をとどめる
 坂を上る際、右手に田園調布せせらぎ公園を望む「どりこの坂」。園内から伸びる枝葉と街路樹が夏の陽光を遮り、坂にささやかな涼感を醸す。左手は高級住宅地。ただ田園調布の中心から少し離れているためか、77歳までこの地で米店を営んだ河野文江さん (85) は「以前は辺りにトタンぶきもありました。古くから住む人は、おかぼや小松菜を作っていましたね」と話す。昭和50年代、「田園調布に家が建つ!」というギャグ(漫才の星セント・ルイス)がはやったころから、「よその土地の人から『お金持ちですね』と、誤解されるようになりました」と苦笑する。

 
「どりこの」の開発者・高橋孝太郎の思い出を話すめいの山本尚子さん
 滋養飲料「どりこの」を医学博士・高橋孝太郎らが開発したのは、1927 (昭和2) 年。共同研究者のドイツ人のイニシャルから「どり」、孝太郎から「こ」、野口という助手から「の」をとり、商品名にしたという。製造・販売は当時多角経営を進めていた講談社。若い女性がほほえむポスターには「飲めば直ちに血となり精力となる」と、時勢を反映した勇ましい字句が躍る。同社社史によると、31 年には230万本、翌32年には190万本を出荷する「爆発的売れゆき」となったが、大戦の砂糖統制令などで製造中止に追い込まれた。

  「残念ですが『どりこの』についての記録は乏しく、味に関する記述は残っていません」と同社広報室。大田観光協会事務局長の栗原洋三さん (64) は「わたしたち定年世代も知らない味。飲んだ人の話は聞いたことがないですね」と首をかしげる。

 「子どものころ、よく飲みました」と話してくれたのは昭和の初めから坂上に住む久保公生さん(84)。現在は高級住宅地が建ち並ぶが、「引っ越してきたころ、家の南側は畑でね。肥だめのにおいが漂ってきましたが、外でよく遊びました」。夏、たっぷり汗をかいた後は「甘くて、とりわけおいしく感じましたね」と懐かしそうだ。

 高橋のめいに当たる山本尚子さんは「わたしももう70代。『どりこの』をはっきり覚えているのは、親類の中でもわたしくらいかも」と話す。透明感のある琥珀(こはく)色。水で薄めて飲んだためか「よくカルピスと混同されるのよ。でも違う味」と。はちみつのような甘さにほのかな酸味が混じり、「さっぱりしていて、すごくおいしかったです」と笑顔を見せた。


河野文江さん
 
 「どりこの」の主成分は果糖とブドウ糖。当時は栄養不足から過労や夏ばてで倒れる人が多く、「どりこの」は、お見舞いの品として重宝されたほか、軍にも拠出された。特許名は含糖栄養剤。多額の特許料を得た高橋は、坂に面した約1000坪 (約3300平方メートル) の土地を買い求めた。坂沿いに石塀が続く広大な屋敷。米の配達のため自転車で坂を上り下りした河野さんは、「赤松の大木が植えられていて、どんな人が住んでいるのかと思っていました」と言う。坂はもともと「池山の坂」といったが、いつの間にか「どりこの坂」が定着した。

 “素顔”の高橋を、山本さんは「本当はお金に無頓着 (むとんちゃく) な人でした」と述懐する。「マイペースですごくきれい好き。自らを『奇人』というほど研究熱心でした」とも。高橋の死去後、屋敷は取り壊され、石塀の一部は今、複数の住宅の塀に転用されている。

 「どりこの」の実物は、山本さんの家や親類宅にも残っていない。すりガラスのびんは多面体で、高級ウイスキーのようだったという。製法の記録もなく、山本さんは「保存しておけばよかった。本当に幻の味になってしまいました」と残念そうだ。

 
カフェ・デスパシオの店頭に立つ上島勝さん
 間もなく終戦から62年。“甘い記憶”は時とともに薄れ、ただ坂の名に、名残をとどめる。

 坂下から東急東横線多摩川駅を経て少し足を延ばすと、多摩川に出る。田園調布せせらぎ公園のほか、亀甲山古墳がある多摩川台公園にも近く、駅周辺はハイキング姿の人も少なくない。

 3日間煮込んだカレーなど手作りの料理やケーキが手ごろな値段で味わえる「カフェ・デスパシオ」(TEL03・3722・3151) は駅から多摩川へ行く途中。隣接する多摩川浅間神社の石垣を、そのまま壁とした店内が印象的だ。お総菜やドリンク類を含むメニューは、持ち帰りもできる。オーナーシェフの上島勝さん (50) は「散策やハイキングの途中に立ち寄る方も多いですね。住民以外の常連さんもけっこういます」と話す。上島さんお勧めの見どころは同神社からの眺望だ。「天気のいい日は富士山が見えます。でも神社まで上るので夏はきついかも」と笑顔で話してくれた。

 
どりこの坂の坂上。坂沿いも坂下も高級住宅が建ち並ぶ


『山の上ホテル』
TEL :03-3293-2311

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