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戦前に建てられた木造の民家が残る狸穴坂の坂下付近 |
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ロシア大使館の西側を下る狸穴(まみあな)坂は、緩やかな曲線を描きながら長く延びる。坂上の大使館周辺には警察官が立ち、人や車の行き来が絶えない。一方、坂下近くには古い木造家屋が、庭や軒先の緑とともにたたずむ。酒屋さん、八百屋さん、豆腐屋さん…。左右に六本木ヒルズと東京タワーが迫って見える港区麻布に、「ご近所同士」の声が行き交う街が息づく。
六本木ヒルズから歩いて15分。狸穴坂の坂上に立った。ロシア大使館の周囲に警察官の詰め所。坂の特徴や辺りの景色を見ながらゆっくり坂を下っていると、詰め所から出てきた警察官の視線を感じた。
「少し、ものものしい坂だな」と思わずつぶやく記者。
狸穴坂の名はタヌキやアナグマのすむ穴に由来するといわれるが、その名残はうかがえない。300メートル近い細長い坂。「警備の目」を感じなくなる辺りまで下ると、戦前からの木造家屋が軒を並べていた。庭の木々、家の前にびっしり置かれた鉢植えの緑が印象的だ。この辺りは空襲の被害が比較的少なく、坂下の商店街にも古い木造建築が点在する。畳店の"ご隠居"白井正射さん(84)は「終戦直後もほとんど停電がなかった。(旧ソ連)大使館と送電線を共有していたためらしいよ」と話す。地元の初音町会前会長でもあり「春は交通安全運動。町会活動は盛んだよ」と少し誇らしげに語ってくれた。
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コーヒーハウス「オリーブ」のカウンターに立つ小野さん |
「大使館のある街」ならではの話題には事欠かない。坂下の交差点そばでコーヒーハウス「オリーブ」を営む小野俊夫さん(56)は「旧ソ連時代は坂下もかなりものものしかったですよ」と話す。特に印象に残っているのは1968(昭和43)年のチェコ事件のとき。右翼の街宣車が大挙して大使館前に押しかけ騒然となった。当時、大学生だった小野さんは通学で坂を上り下りするたび、警察官にバックの中を調べられたという。「学生運動が盛んでしたしね。もっともぼくは"ノンポリ"でしたが…」と当時を振り返り苦笑する。
オリーブは10年ほど前、人気テレビ番組「タモリのボキャブラ天国」の撮影に使われ、マスター役のタモリと客役の萬田久子がカウンター越しに話すシーンが放送された。タモリには坂の著書があり狸穴坂も取り上げているが、小野さんは「坂の話は全く出ませんでした」と振り返る。著名人、芸能人の来店は珍しくないが、サインなどは飾らない。「落ち着いた雰囲気を大切にしたい」。この地で生まれ育った小野さんは、仕事の傍ら町会やボーイスカウト活動を続ける。
坂下のお店を見て回った。堺屋酒店には昔ながらのたばこ売り場がある。62年に嫁いでから40年以上"たばこ屋の看板娘"を務める小河原清子さん (69)は「今は通行人の半分以上が外国人。街並みもお客も変わっています」と少し複雑な表情だ。
たばこ売り場のガラス戸越しに坂を望む店内には、いすと小さなテーブルがある。日が落ちると近所の人が、お酒やお茶を飲みながら、世間話を楽しむそうだ。
酒店での取材を終え外に出た。夕日を映し六本木ヒルズが輝く。夕刻になると、まだ少し肌寒い。
「ちょっと待って」
小河原さんが店から走り出て来た。手に温かい缶コーヒー。記者は代金を払おうとしたが、笑顔で「いいから」と。
心にも、ぬくもりを感じたひと時だった。
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古くからのお店が並ぶ坂下は
しっとりとした昭和の雰囲気を残す |
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