|
レンガ坂 |
|
坂の名前には利用する人のいろいろな思いが投影されている。多摩ニュータウンは丘陵地帯を切り開いて作られただけに、名もない坂道が多い街だ。12日 (月)までパルテノン多摩で開催中の企画展「多摩ニュータウン・坂物語」を見ると、開発前にはこの地にも名前で呼ばれた坂がいくつもあったことがわかる。もうじきあちこちで桜咲く多摩センター付近をひと足早く訪ねた。
多摩センター駅を出ると、ゆるやかな坂道のパルテノン大通りが複合文化施設パルテノン多摩へと続く。高齢化が心配される街だが、学生や若い家族連れの姿が目立っていた。
「多摩ニュータウン・坂物語」展を企画した学芸員の金子淳さん(36)は、以前からニュータウンは坂が多くて住みにくいという不満の声が多いことを気にしていた。パルテノン多摩の近くにも、開発後にできたゆるやかなレンガ坂がある。
日本には"坂の街"がたくさんあり、坂とともに生活が営まれている。「多摩丘陵を平坦にしてニュータウンを作ったのに。これ以上利便性を追求してどうするのかと思いました」。それが展示を企画した出発点。多摩の坂の歴史や伝承を知れば、坂のマイナスイメージも変わるのではと金子さんは考えた。
罪人が坂下にある処刑場に転がるように引っ張られていったことから付いたコロゲット坂など、昔は多摩にも名前のついた坂がいくつもあったことが展示からわかる。
調べてもほとんど痕跡がないため、現在のどの位置にあったか地元の人に聞き、写真で確認してOKがもらえるまでが大変だったと金子さん。
大体の場所しかわからなくても、「この辺りが『提灯屋の坂』か。近くに提灯屋があったんだな」と名前の裏にある物語を感じながら歩けば、「不便な」坂も楽しめるのではないか。
同展を開催するにあたって、「落合名所図絵」など貴重な資料・情報を提供した峰岸松三さん(84)は、「坂道は健康のためと思って歩いています
|
峰岸松三さん |
よ」とすこぶる元気。
先祖代々この地に住み、開発前は農業を営んでいた峰岸さんは、「開発前、このあたりには田畑が広がっていた。隣村には坂を越えて行ったね。大変だったけど坂があって当たり前だった」と振り返る。当時の人は斜面に適した農具を作るなど、"当然の不便さ"を克服する工夫をした。
開発にあたっては行政と地元住民の意見の調整役も果たしたという峰岸さん。故郷の風景が消えていくなかで、「何か残さなくては」と使命感を抱いた。記憶をたどって開発前の地元の生活の様子を文と絵で著した「落合名所図絵」を自費出版。坂の絵も多い。
商工会議所の会頭を務める峰岸さんは今、「桜プロジェクト」の構想を練っている。「昔、この辺りにはたくさんの山桜がありました」と峰岸さん。桜を植樹し、文化活動につなげるなど、桜を通して街の魅力作りをしていく。「坂の向こうに美しい桜があると思えば、坂も気にならなくなりますよ」
ここで生まれ育った人が戻ってきたくなる魅力ある街を、住民で作っていきたい。峰岸さんも金子さんも一緒の思いだ。この街や坂に新たな歴史や物語を残すのは今住んでいる人たちだ。新しくまかれる街づくりの"種"は、将来どんな"花"を咲かすのだろう。
|
|
企画展の解説をする金子さん。金子さんも多摩ニュータウンの住民だ |
|
| |
|