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善光寺坂に面する沢蔵司稲荷の石垣。江戸時代の石をそのまま用い修復された |
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寺の門や石垣、古木が情緒を醸す善光寺坂。坂の途中にある沢蔵司(たくぞうす)稲荷には、一風変わった話がある。まつられている江戸時代の僧・沢蔵司の正体は「お稲荷様」。沢蔵司が通ったそば店は今ものれんを掲げ、店主が毎日、そばを奉納する。「400年近い」ともいわれる老舗の祈り。つい先日の年越しそばではないが、"細く長い"伝統が年を越えて続く。
江戸時代、徳川家ゆかりの寺として学僧が集った小石川の伝通院。明治維新後、新政府に没収された寺域に町ができ、坂も整備された。善光寺(長野)の分院が坂に面するため「善光寺坂」。明治時代の坂だが、伝通院や、ゆかりの寺社が、江戸の名残をそこかしこにとどめる。
沢蔵司はわずか3年で浄土宗の奥義を窮めた伝通院の修行僧。1620(元和6)年、学寮長の夢枕に立ち「われこそは千代田城の稲荷大明神。世話になったので当山の守護神になろう」と言ったと伝えられる。沢蔵司稲荷は同年の創建。別当の遠田弘賢さん(59)=慈眼院住職=は「おそばの奉納は、建立当初からあったのでは」と推測する。沢蔵司稲荷の別当寺・慈眼院に伝わる江戸時代中期の文書には「まだ、そばの奉納は続いている」とあり、早い時期の始まりをうかがわせる。別の「物語」では沢蔵司は、そばが大好物。沢蔵司がそば店に来た日は、売り上げの中に木の葉が入っていたとも語られる。
稲荷蕎麦萬盛(そばまんせい)総本店の店主・松村和茂さん(40)は昼前、その日最初にゆでた「初ゆで」を箱に入れ、自転車に乗ってやって来る。本堂内に供え、空になった前日の箱を持ち帰る毎日だ。「実際に誰が食べているか? それは知りません」と、屈託なく笑う松村さん。奉納の歴史も「記録がなく分からないのです」。ただ、店には「元和4年」(1618)の刻印がある擬宝珠(ぎぼし=橋の装飾)が保存され、沢蔵司の時代と一致する。
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奉納のそばを持つ松村さん |
父親の茂さんの奉納を見ていた松村さんは「子どもの時は、どの店も同じようなことをしていると思っていました」。沢蔵司稲荷の前にはムクの古木があり、沢蔵司の霊が宿るといわれる。すぐ近くに作家の幸田露伴、二女で随筆家の幸田文が住んでいた。松村さんが幼いころ、文に「あら感心ね」と頭をなでられたのが懐かしいという。
「特別なことをしている感覚は今もないです。皆さんから言われ『相当珍しいらしい』と思う程度」と松村さん。日・祝日の休業日を除き欠かさないが、「実は高熱で臨時休業した1日だけ、お届けできませんでした」と明かしてくれた。
落語家の三遊亭円窓さん(66)が、そばの奉納を知ったのは2005(平成17)年の秋。早速、創作落語「澤蔵司 蕎麦稲荷」を作り始め、06年5月、沢蔵司稲荷の石垣修復工事落慶法要で披露した。下町の人情を残す小石川や付近の名所を織り交ぜた噺(はなし)に、遠田さんは「よく調べていると、感心させられました」。昨秋は「ますますそばを食べるようになった」と言う円窓さんが、松村さんの店を訪れた。
「こうして皆さまにかわいがっていただけるのが何よりのご利益かな」と松村さん。店内の神棚にも毎日そばを上げる。こちらはお稲荷様定番の油揚げではなく、エビ天付き。
「これも習わしですね」
坂を行きかう人の優しい心ばえは、坂の景観以上に変わらない。
沢蔵司てんぷらそばがお気に入り。
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善光寺坂のムクの古木は、大切に守られている |
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