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“予言の書”と“無念の書” 原発のある町で歌を詠む |
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★佐藤祐禎の歌集 いりの舎
「再び還らず」(1980円)・「青白き光」(734円) |
福島県双葉郡大熊町に佐藤祐禎(ゆうてい、1929〜2013)という歌人がいました。農事を生業(なりわい)としながら、52歳で作歌を始め、2004年、75歳のときに第1歌集「青白き光」を自費出版しました。
11年3月11日、東日本大震災が発生し、東電福島第一原発で甚大な事故が起きました。大熊町は隣町の双葉町とともに、第一原発が立地する町です。
「青白き光」刊行当時、私はその版元である出版社に勤めていました。歌集には、農業や家族を詠んだ歌だけでなく、原発がある町の現実や、その危険性を心配する気持ちを詠んだ作品が収められていました。
《小火災など告げられず原発の事故にも怠惰になりゆく町か》
《原子炉の寿命知らされざるままに原発ひしめく町に慣れて住む》
大熊町に近い浪江町出身の女性と結婚した私は祐禎さんの短歌に詠まれた内容が、ひとごととは思えませんでした。妻とは、「いつか祐禎さんに会いに大熊町に行きたいね」と、よく話していました。
結局、祐禎さんに会えたのは震災後、避難先の同県いわき市でした。私たちは「青白き光」を多くの人に読んでほしいと、祐禎さんにお願いし、起業したばかりの「いりの舎」から、文庫本として再出版しました。
《いつ爆ぜむ青白き光を深く秘め原子炉六基の白亜列なる》
歌集は「予言の書」と評されました。しかし、原発について学んだ祐禎さんは、決して事故など起きてほしくないと願って歌を詠んでいたのではないでしょうか。13年、帰郷がかなわないまま、祐禎さんは亡くなりました。
22年、お弟子さんたちの尽力もあって、遺歌集「再び還らず」を刊行しました。避難を強いられた生活の中で詠まれた作品には、故郷での暮らしを根こそぎ奪われた無念と慟哭(どうこく)が伝わってきます。
《逐はれ来し町の彼方の空ながめ望郷のおもひ遣らはむとする》
これは、祐禎さんだけの思いではないでしょう。事故から13年がたとうとしている今も、これからも、同じ思いを抱えた人たちがいることを、忘れずにいたいと思います。
《詩歌・文芸出版社「いりの舎」代表・玉城入野》 |
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