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“演技”が日本理解の第一歩 若き日のドナルド・キーン |
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喜多能楽堂で 1956年9月(撮影・渡部雄吉) |
ドナルド・キーン(1922〜2019)といえば、日本人より日本に詳しい日本学者として、また2011年の東日本大震災後、多くの外国人が日本を後にしたのに対して、翌年日本国籍を取り日本人として生涯を全うした人物としても記憶に新しいでしょう。そのキーンの若き日、日本(文化)理解のために考察の一助として取り組んだのは、意外にも“演技”でした。
1953年夏、30代のキーンは京都大学大学院に留学するため来日。すぐに歌舞伎や能、狂言など古くから日本に伝わる演劇を鑑賞し、早々にそれらの芸術性に魅せられます。そして研究だけではなく、自分で演じてみたいと考えました。なにせ高校時代の夢は映画俳優。「君こそ探していた人材だ!」とスカウトされるのを期待して、自宅付近の撮影所入り口にたむろしていたほどです。
そんなキーンが選んだのは狂言。舞台で狂言師が発する「〜でござる」という語尾の音が気に入ったようで、茂山千之丞(2世)から早速個人レッスンを受けます。その様子がマスコミに紹介され、ついたあだ名が「碧(あお)い目の太郎冠者」。
さて、その稽古の成果を披露したときの写真が図版となります。なかなか美形の若き日のキーンが狂言「千鳥」の太郎冠者を演じていますが、ただの舞台ではありません。留学を終えたキーンの送別会を兼ねた狂言会で、共演者には演出家・武智鉄二や当代一流の狂言師が並び、招客の顔ぶれも谷崎潤一郎、川端康成、松本幸四郎(8世)と驚くべき豪華さでした。どうして来日3年のアメリカ青年の送別のためにこんな舞台が用意されたのか、詳しいことは分かりませんが、文壇や狂言界で愛されていたことだけは確かでしょう。
《神奈川県立神奈川近代文学館 半田典子》 |
◆ 「生誕100年 ドナルド・キーン展—日本文化へのひとすじの道」 ◆
24日(日)まで、神奈川県立神奈川近代文学館(みなとみらい線元町・中華街駅徒歩10分)で。
日米両国を往来しながら日本の文学、歴史、芸能分野の研究や翻訳に取り組み、その魅力を世界に伝えたドナルド・キーンの業績と生涯を約500点の資料で紹介している。
観覧料一般700円。65歳以上350円。同館 Tel.045・622・6666 |
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