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田中一村「白花と赤翡翠」
昭和42年(1967)岡田美術館蔵
© 2022 Hiroshi Niiyama[前期] |
田中一村(1908〜77)は画壇で認められることなく、無名のまま世を去った日本画家です。1908(明治41)年、栃木に生まれ、5歳で東京へ。幼少から南画を描き、7歳で神童ともてはやされました。17歳で東京美術学校(現在の東京藝術大学)の日本画科に入学するも、わずか2カ月で退学し、以後は独学で絵を描きます。30歳からの20年間を千葉で過ごしたのち、1958(昭和33)年、50歳のときに奄美大島へ移住、当地の花や鳥、風土を題材とした作品を描き、69歳で没しました。南国奄美の自然や、土地の持つ霊的な空気にふれる中で制作されたこの時期の作品には、見る者を強く引きつける力が備わっています。
岡田美術館で開催中の「花鳥風月 名画で見る日本の四季」には、奄美時代の名作「白花と赤翡翠」が展示されています(7月10日まで)。下向きに咲く大ぶりの白い花はキダチチョウセンアサガオで、鮮やかな緑色の葉の陰にとまっているのは、初夏に渡ってくるカワセミ科の鳥アカショウビン。複数の線が絡み合うようにしてガジュマルの気根(空気中に伸びる根)が表され、その背後に暗く静かな空間が広がっています。
キダチチョウセンアサガオには毒性があり、ガジュマルの根は他の木や建造物にも絡みつくため奄美では好かれないそうですが、一村の絵にはほかにもクワズイモなど“嫌われ者”の植物を題材としたものが残っています。奄美の風景を、影も含めて美しく描いた作品の数々からは、自然をさまざまな角度から深く観察し、土地への畏怖を抱いた画家の真摯(しんし)な態度が見えるようです。
奄美での一村は、つむぎ工場で5年働き、次の3年は制作に集中し、また2年働いて個展の費用を作るという10年計画を立てました。個展の開催は実現しなかったものの、「白花と赤翡翠」は、俗事に煩わされることなく、絵のみに没頭できる幸福な3年間の始まりのころ、充実した日々の中で描かれた作品です。
《岡田美術館学芸員 稲墻(いながき)朋子》 |
◆ 花鳥風月 名画で見る日本の四季—前期:春夏編 若冲・御舟・一村など— ◆
7月10日(日)まで、岡田美術館(箱根登山鉄道箱根湯本駅からバス)で。
日本の絵画を中心に陶磁や漆工などの工芸品も含めて前・後期合わせて約100件を展示。四季がどのように表現されてきたかを紹介している。観覧料一般2800円。後期:秋冬編は7月16日(土)〜12月18日(日)。
問い合わせは同館 Tel.0460・87・3931 |
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