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ガラス製香油瓶 シリア 紀元前5〜3世紀 高20センチ 径5.5センチ
コア技法はその後、地中海沿岸の地域にも伝わりました。このような瓶は、底部が丸いので置けないため、横についた取っ手にひもを通してつり下げて使いました。貴重なラピスラズリの色をほうふつとさせるような青色の上に、白色で綾杉のような模様がつけられています(竹田) |
ワイングラスや窓ガラスなど私たちの生活を豊かに彩るガラス。透明感が美しく光が当たるとさらに輝き、透明であることがガラスの魅力といっていいでしょう。しかし、歴史をひもとくと、古代では不透明なガラスの方が珍重されました。
世界で初めてガラス製品の本格的な生産が始まったのは、3600年ほど前のメソポタミア。その技術は新王国時代のエジプト(紀元前1550年〜紀元前1069年ごろ)にも伝わります。香油を入れる容器、護符、装身具など古代のガラス製品を見ると、現代とは違いその多くが不透明な色ガラスで作られています。例えば、ラピスラズリのような藍色、トルコ石のような空色、紅玉髄(こうぎょくずい=カーネリアン)のような赤—、ガラスなのにまるで石製のように見えます。
護符や装身具などの素材として利用していたラピスラズリなどこれらの宝石は、当時入手が難しかったり、高価であったりした貴重なものでした。そのため、古代の人たちはガラスという新しい素材が登場すると、意図的にガラスに着色し、宝石の代用品として使っていたと考えられています。不透明でもその鮮やかな輝きは人々を十分魅了したのです。
もちろん、透明な色ガラスを使った容器もありましたが、コア技法という当時の代表的な技術は、金属棒に溶けたガラスを何重にも巻き付けて成形する方法でした。ガラス層がとても厚くなり、どうしても不透明となってしまうのです。ただし宝石の代用品といっても、古代のガラス製作は手間と時間がかかったので、宝石並みに高価。その製品は王侯貴族しか持てないものでした。
ところが、紀元前1世紀の中ごろ、シリア辺りで吹き技法という新しい技術が発明されると、今までのガラスのイメージは一変し、今につながる透明なガラスが現れるのです。
《横浜ユーラシア文化館学芸員・竹田多麻子》 |
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