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元正女帝行幸の際に、発見されたと伝えられる湧き水・菊水霊泉。この奥地にある「養老の滝」との関係は諸説ある |
2017年は、717年に元号が「養老」に改元されてから1300年後に当たります。改元のきっかけとなった「養老の滝」伝説が伝えられる岐阜県養老町では、盛大な記念行事が開催されたそうです。
奈良時代の正史「続日本紀」によれば、霊亀3(717)年9月、元正女帝による美濃行幸の際、多度山で美泉(酒の味がする水をたたえた泉)を御覧したことが改元のきっかけとなったと伝えています。平城京へ帰京後には、多度山の美泉が祥瑞(しょうずい=縁起の良い前兆)のランクとしては最も上等な「大瑞」に相当するとして、天下に大赦するとともに、霊亀から養老への改元が行われました。このとき、養老にちなみ老人に対する叙位や手厚い賜物(たまいもの)も命令されています。
なぜ、酒のような味がする泉(後世には「養老の滝」として伝えられる)の発見が、養老改元の理由になるのかについては必ずしも明記されていませんが、養老の滝は「万葉集」には変若水(若返り水)の滝とも詠まれています。
また中国では「尊長養老之道」として、飲酒の場の作法により、若い者が老人に対して孝行を実践することが養老であると説かれています。養老の実践、すなわち年長者への孝行こそが君主の重要な徳を示すものと考えられ、「美泉の出現は、元正女帝が孝行を実践する有徳の君主として、天により認められたことを意味する」と示したかったのではないでしょうか。これが改元の理由と考えられています。
ちなみに、(老人に対する)孝の実行を行動により示すのが養老ですが、精神的な尊敬を示す「敬老」は養老よりも難事とされています。
《国立歴史民俗博物館 教授 仁藤敦史》 |
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