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1935年4月21日の地震(清水街西勢:現台中市)。土壁造りの大部分が崩壊し、れんが造りの家も多数が大破 |
地震が頻発する昨今、地震対策には防災訓練が欠かせませんが、この防災訓練は、いつから、どのように始まったのでしょうか。
戦時の防空演習を別にすれば、国を挙げての防災訓練は、戦後社会が落ち着いた1960年代からだと私は思っていました。ところが台湾での調査の結果、個人の収集資料の中に、(日本の)植民地期、台湾の初等教育機関だった公学校での防災訓練の写真があったのです。「地震演練救災演練」と書き添えられ、防災避難と救援の両面を含む演習と思われます。この訓練は、1935(昭和10)年の実施ですが、実はこの年4月21日に、死者3279人を数え、近代台湾史上最大の被害者を生んだ「新竹・台中地震(台湾中部地震)」が起こっていたのです。訓練はこの震災への対応の一つでした。
こうして、一つの資料を糸口にして、植民地時代の震災・防災史というテーマが浮かび上がってきました。日本が植民地を領有していた戦前の時代、植民地で大災害が起こった場合、植民地社会の被害・救援・復興のあり方はどうであったのか、という問題です。これまで歴史研究の対象にもなりにくかった領域ですが、東日本大震災以来の震災への関心と植民地時代の研究が結びつき、現在の国境を越えた「植民地震災史」とでもいうべき歴史対象が現れたのです。
植民地をまたぐ震災報道や救援活動、義援金、軍隊の出動、国際的関心などの震災史から新たな近現代が見えてくるのではないでしょうか。
《国立歴史民俗博物館 教授 荒川章二》 |
2月19日まで特別展示
2月19日(日)まで、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市、京成線京成佐倉駅徒歩15分)で特集展示「台湾と日本—震災史とともにたどる近現代—」が開催中。一般420円。Tel.043・486・0123 |
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