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ツキノエ図、蠣崎波響「夷酋列像」(1790年)、ブザンソン美術考古学博物館所蔵。クナシリ(現在の国後島)の首長。中国製の絹織物(蝦夷錦)の上に西洋の外套(とう)と考えられる服・ブーツを着用 |
伝統的なアイヌ文化と見なされる生活様式が成立するのは、13〜14世紀ごろと考えられています。このころのアイヌ文化の特徴として、蝦夷地(北海道)周辺地域と活発な交易を行っていたことが知られています。例えば、13世紀後半には、交易上のトラブルにより、元朝と樺太アイヌとの間で戦いがありました。
また、17世紀初頭のキリスト教宣教師アンジェリスの記録には、高価なラッコ皮を松前にもたらす道東のアイヌのことなどが記されています。「ラッコ」は日本語にとけ込んで用いられているアイヌ語の代表的なものの一つです。
アイヌの人々は、周辺環境から手に入る魚や海草、動物の皮や鳥の羽根などを周囲の地域へ移出。また、幾つもの民族を介して中国製の品物を移入し、それが日本本州にもたらされました。中国製の豪華な絹織物「蝦夷錦」はその代表的なもので、当時広く流通しました。
また、北海道産の魚からつくった肥料は、本州の綿花の栽培に使用され、逆に本州からは木綿製品のかたちでアイヌにわたりました。このように、アイヌの人々の交易活動は、アイヌと日本の双方の生活文化に変化をもたらすきっかけとなりました。
アイヌと和人の初期の交易は自由度の高いものでしたが、蝦夷地に松前藩が成立し、アイヌとの交易を独占する権利が徳川幕府から認められると、交易に多くの制約が課せられるようになりました。江戸時代を通じて、和人によるアイヌの人々の政治的・経済的支配は段階的に強まっていき、明治時代になると、「蝦夷地」は「北海道」として一方的に日本の中に組み込まれました。その一方で、アイヌの人々は独自の生活様式や精神文化を受け継いできたのです。
《国立歴史民俗博物館准教授 内田順子》 |
来月7日まで特集展示
2月7日(日)まで、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市、京成線京成佐倉駅徒歩15分)で特集展示「夷酋列像(いしゅうれつぞう)—蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界—」を開催中。一般420円。Tel.043・486・0123 |
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