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金色も交じってカラフルになった6世紀のアクセサリー(千葉県市原市江古田金冠塚古墳出土)=市原市教育委員会提供 |
考古学の博物館でほとんど必ずといっていいほど目にするのが、玉や耳輪などの装身具です。縄文時代が始まるころから古墳時代以降まで、日本列島の人びとは、ネックレスやブレスレット、ピアス、イヤリングなどの装身具を愛用してきました。墓の出土品から判断するかぎり、さほど身分の高くない人でも何らかの装身具をもっている例が少なくありません。現代と異なるのは、女性だけではなく男性もかなりの割合で装身具を身に着けている点です。
装身具の色に注目すると、各時代の流行ファッションやその変化の過程が浮かび上がってきます。いちばん顕著なのは古墳時代の中ごろ、西暦でいえば紀元後5世紀くらいに起こった流行の変化です。それまではヒスイ、碧玉(へきぎょく、緑色の軟質の岩石類)、紺色または水色のガラスなどを用いた寒色系が主流でした。これに対して、5世紀になると赤・黄色・だいだい色など暖色系のガラスやメノウの玉が加わり、青銅に金メッキをほどこしたイヤリングが出現します。おとなしい寒色系一辺倒から、カラフルで金ピカのにぎやかな色合いへと変化したのです。
これは、朝鮮半島との交流がさかんになり、渡来系の人びとを仲立ちにして「韓流」のファッションが伝わり、流行した結果です。この時代は、陶器、カマド、馬などの外来の技術が人びとの生活を急激に変え、「古代の文明開化」などといわれますが、経済や生活だけではなく、美的感覚のような人びとの心にも大きな転換があったことがうかがわれます。
このような物心両面での文化の変化が、やがて古墳時代から律令時代へと、歴史を大きく動かしていきました。
《国立歴史民俗博物館 松木武彦》 |
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