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火縄銃と日本刀は、どちらも江戸時代には武芸に使われた鉄の武器ですが、いろいろな点で違いがありました。
まず製作者ですが、火縄銃の場合は大きく分けて2種類ありました。ひとつは火縄銃の製作を専門とする鉄砲鍛冶(かじ)で、国友や堺が製作地として有名です。火縄銃各部の形状は使用者の砲術の流派によって異なるため、ふつうは注文の際に、火縄ばさみや引き金などの金具類の形、口径、尾栓ネジの長さからネジ山の数にいたるまで細かく指定をし、鉄砲鍛冶はそれに従って製作を行いました。もうひとつは火縄銃の製作を専門とせず、ほかの製品を作る副業として火縄銃を作る職人ですが、これには刀鍛冶や、農具を作る野鍛冶がいました。
これに対し日本刀は実際上、刀鍛冶のみによって、それぞれが持つ流派の技法で作られました。材質の面でも、日本刀は内側の心鉄、外側の皮鉄とも、濃度に多少の違いはありますが、いずれも炭素を含む鋼が使われるのに対し、火縄銃では炭素をほとんど含まない軟鉄が使われます。鉄は、炭素の濃度が低いほど軟らかく粘りが出ますので、発射時の衝撃で銃身が割れないように、このような素材が使われたのでしょう。
日本刀は、実用以外に美術品としても価値が認められてきたため、現在も全国には200人以上の刀鍛冶職人がおり、各流派の技術が保たれています。しかし、火縄銃は明治以降需要がなくなったため鉄砲鍛冶の伝承が途絶え、その技術もノウハウも失われてしまいました。《国立歴史民俗博物館・齋藤努》
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