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大 奥 東京学芸大学教授・NHK大河ドラマ「篤姫」時代考証担当/大石学 |
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大奥の起源については不明なことが多いが、3代将軍の徳川家光の時代に、江戸城の整備拡大の普請が完了していることから、このころまでには大奥が成立したと考えられている。
江戸城は、現在の東京駅の西側にあたる地域に展開していた。将軍の居城である本丸は、表、中奥、大奥の3つのエリアに大別される。
このうち、表は儀式・儀礼や政務を行う公的な場、いわば官庁である。中奥は将軍が政務を行うとともに、日常生活を送る場。大奥は御台所や側室たちが日常生活を送る場である。この3区域のうち、大奥だけが完全に分離されており、将軍は御鈴廊下を渡って大奥に入った。御鈴廊下の鍵は厳重に管理されていた。
大奥を描いたドラマや映画などでは、「上様のお成り〜」という声とともに、御鈴廊下の扉が開いて、女性たちがずらりと並んで迎える場面が知られているが、実際にこうしていたかどうかは不明である。
篤姫が輿(こし)入れする直前の1845(弘化2)年の記録によると、本丸御殿全体の建坪は1万1373坪、そのうち大奥は6318坪であるので、本丸御殿の半分以上を大奥が占めていたことになる。
大奥の女性の人数は、1863(文久3)年当時、天璋院付、和宮付、本寿院(13代将軍家定の生母)付が計216人、さらに御使番や御半下などを加えると、約1000人の女性が生活していた。大奥の面積が広いのは、これら女性たちの生活の場だったからである。
「千代田之大奥婚礼」作者/画 橋本周延 |
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