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定年時代
 
  ものしりミニ講座 平成20年9月下旬号  
陸に上がったカッパ  国立歴史民俗博物館/宇田川武久
 
 江戸時代の1831(天保2)年、豊後森の城主久留島信濃守は、上方から取り寄せたばかりの石碑を屋代島(周防大島)の普門寺境内に建てた。この碑には、さかのぼること200年前の1633(寛文3)年、参勤交代の途中、屋代島沖で海難事故に遭い命を落とした久留島主膳通方とその家臣の法名が刻まれていた。久留島氏は参勤交代などで瀬戸内海を航行する時は普門寺に詣でて犠牲者の菩提(ぼだい)をとむらうことを習わしとした。信濃守の仏参と石碑の建立はそれにならったのである。

  この久留島氏は、もと来島氏を称し、瀬戸内海に割拠した「村上水軍」の一族であった。特に、戦国時代に活躍した来島通康は、伊予河野氏の水軍を統括する、いわば海軍司令官の地位にあった人物で、屋代島にも勢力を及ぼし、毛利元就をはじめ西国の戦国大名に期待された実力者だった。

  しかしその後、関が原の戦で通康の孫、久留島康親が徳川氏に敗れると、山深い豊後に封ぜられ、海と縁が切れてしまう。

  江戸時代、海と関係をもたなくなった久留島氏は水軍の性格を失い“陸に上がったカッパ”になってしまったのである。後年、その子孫である久留島主膳通方がゆかり深い海域で海難事故を起こしたことはそれを語ってあまりある。

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